2024年4月6日土曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第一章 霊的な教育の土台

セオドア・オースティン・スパークス『キリストの学校
The School of Christ by T Austin-Sparks

第一章 霊的な教育の土台


エゼキエル
40:2 すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。
40:3 主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた。その姿は青銅でできているようであり、その手に麻のひもと測りざおとを持って門のところに立っていた。

2024年4月5日金曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、序文

セオドア・オースティン・スパークス『キリストの学校』
The School of Christ by T Austin-Sparks

著者からのお願い

ただで受けたものは、ただで与えるべきであり、利益を得るために売ってはならない、また、メッセージは一語一句、自分が語ったままに伝えて欲しいというT・オースティン・スパークスの要望を守るため、このメッセージを他の人たちと共有する場合は、彼の願いを尊重して、無償で配布するようにお願いします。代金を受け取ること、料金を課すこと(配布のために必要な経費は除きます)はしないでください。また、この一文を必ず含めてください。

2023年12月28日木曜日

オースティン・スパークス、『わたしたちが一つであるように・・・』第42回会合(最終回)

セオドア・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
That They May All Be One, Even As We Are One.

会合42、『主の御名のために』
Meeting 42 - "For the Sake of His Name"

第四十二回会合
(1964年3月12日午後)

今晩は、しばらくのあいだ、天の御国のたとえに戻りたいと思います。マタイによる福音書の13章44節、『天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。』畑に隠された宝のたとえです。前にもお話しした一貫性の法則によると、ここでもこの畑は、世のことと解釈しなければなりません。イエス様は、種をまく人のたとえで、畑とは世のことであると説明されました。だから、ここでもまた、畑は世を表しています。そして、他のたとえ話と同じように、この人とは人の子のことです。この世でこの宝を見つけたのは、主イエス様ご自身です。そして、次に、宝を見つけた主は、自分の持っているものをすべて売り払い、宝ではなく畑を買われたとあります。主は畑を買うことによって、宝を自分のものとされたのです。

2023年12月3日日曜日

オースティン・スパークス、『わたしたちが一つであるように・・・』第41回会合

セオドア・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
That They May All Be One, Even As We Are One.

会合41、『祈りは、主との生活におけるすべての基本である』
Meeting 41 - Prayer is the Basis of Everything in our Life with the Lord

第四十一回会合
(1964年3月10日午後)

使徒行伝、第9章の10節から12節、『さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」』

2023年11月23日木曜日

オースティン・スパークス、『わたしたちが一つであるように・・・』第40回会合

セオドア・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
That They May All Be One, Even As We Are One.

会合40、『主の杯』
Meeting 40 - The Cup of the Lord

第 40 回会合
(1964年3月8日午後)

第一コリント、10章16節を開いてください。『私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。』11章25節、『夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。」』私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。この杯は、わたしの血による新しい契約です。これまで、皆さんと一緒に、何回か主の聖餐にあずかってきた中で、私は、この聖餐について、完全でより深い真実を語りたいとずっと願ってきました。そして、今夜ぜひ、そのお話しをさせてください。

2023年11月20日月曜日

オースティン・スパークス、『わたしたちが一つであるように・・・』第39回会合

セオドア・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
That They May All Be One, Even As We Are One.

会合39、『キリストが真に現われるための法則は、死とよみがえりのキリストとひとつになること』

Meeting 39 - The Law of the True Manifestation of Christ is the Law of Death and Resurrection Union with Christ

第39回会合
(1964年3月8日午前)

引用聖句:ヨハネ12章、20~26節

2023年11月3日金曜日

オースティン・スパークス、『わたしたちが一つであるように・・・』第38回会合

セオドア・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
That They May All Be One, Even As We Are One.

会合38、『主のいのちが全ての基である』
Meeting 38 - Life is the Basis of Everything

第38回会合
(1964年3月7日午後)

ヨハネの手紙第一に目を向けます。この手紙についてお話しするのは今夜が最後になるので、最後の章に入りたいと思います。第5章の9節から13節です。

『もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。』