三月七日
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。(コロサイ二・九、十)
愛する友よ、パウロが若い改宗者、成長するキリスト者として成しとげたのと同じ進歩を、あなたと私も達成したいと思うなら、また、パウロが持っていた霊的な印象と影響力の重みに近いものを、私たちも持とうと思えば、そして、パウロが用いられた主の働きにくらべて、例えわずかな程度であっても、やはり自分たちも用いられたいと望むなら、絶対的に欠けてはならないことがひとつあり、これをしっかり、理解しなければなりません。もっとも若いキリスト者たちは、ぜひ、このことを把握すべきであるし、他の人たちも同じです。すなわち、自分の救い、回心やこれに関わることがらを、ただその中だけで捕らえたら、そこに限界が生まれることになります。私たちは、全てのことを、このただ一人の方、神なるイエス・キリストの光の中で見なければなりません!すなわち、これを贈り物として――救いを贈り物として――受けるとき、また、キリスト者としての生活の他の何かを受けるときも、ひとつだけで独立した贈り物として受け取ってはいけません。それの贈り物を見て、言うべきことはこれです、『この贈り物は、与えてくれたお方について、何を教えているのだろう?これは、キリストのことで、何を伝えているのだろう?私の救いの源となるお方について、これは、何を意味しているのだろうか?』理解し難い点かもしれませんが、これは計り知れない大切さを持つことです。なぜなら、キリスト者の生活における前進と、キリスト者の奉仕で用いられる力は、何かを知ったり、理解したり、救いを喜ぶといったことから来るのではなく、イエス様を見ることから生まれるからです!なぜなら、イエス様とは、神の満ち満ちたさまを、全てにいたるまで、その中に集めたお方だからです。
Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える(エゼキエル36:26)
2020年3月7日土曜日
2020年3月6日金曜日
【Daily Open Windows】3月6日
三月六日
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ五・一)
律法主義が、何度も繰り返してキリストを十字架に付けるのは、律法主義がキリスト信仰におけるもっとも偉大なことばを切り捨てるからです。真実のキリスト信仰へと通じる扉に掲げられたそのことばとは、『恵み』ということばです。律法主義は常に、主の『恵み』を拭い去り、『律法』で置き換えます。恵みは、キリスト者の語彙の中でも、もっとも大切なことばです。律法主義がもっとも完全なかたちで現わされるとき、それによって、常に、空の墓のあるべき場所に十字架が置かれることにお気づきでしょうか?キリスト者が胸に貼る記章とは、空の墓です。すなわち、『死者の中からのよみがえり』です。律法主義がつける記章は、十字架、『死んだキリスト』です。律法主義は常に死を持ち出すのに対し、キリストにまつわるもっとも大切な事実は、復活です。死者の中からよみがえったいのちです。神が、パウロの中に御子を喜んで啓示されたとき、パウロが理解するようになったのはこのことでした。そして、パウロは言いました、『この律法主義という制度から抜け出そう。私たちが十字架につけた、ナザレのイエスは生きている。この主は、私の心の中に、生きている人として示されたのだ。』
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ五・一)
律法主義が、何度も繰り返してキリストを十字架に付けるのは、律法主義がキリスト信仰におけるもっとも偉大なことばを切り捨てるからです。真実のキリスト信仰へと通じる扉に掲げられたそのことばとは、『恵み』ということばです。律法主義は常に、主の『恵み』を拭い去り、『律法』で置き換えます。恵みは、キリスト者の語彙の中でも、もっとも大切なことばです。律法主義がもっとも完全なかたちで現わされるとき、それによって、常に、空の墓のあるべき場所に十字架が置かれることにお気づきでしょうか?キリスト者が胸に貼る記章とは、空の墓です。すなわち、『死者の中からのよみがえり』です。律法主義がつける記章は、十字架、『死んだキリスト』です。律法主義は常に死を持ち出すのに対し、キリストにまつわるもっとも大切な事実は、復活です。死者の中からよみがえったいのちです。神が、パウロの中に御子を喜んで啓示されたとき、パウロが理解するようになったのはこのことでした。そして、パウロは言いました、『この律法主義という制度から抜け出そう。私たちが十字架につけた、ナザレのイエスは生きている。この主は、私の心の中に、生きている人として示されたのだ。』
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2020年3月5日木曜日
【Daily Open Windows】3月5日
三月五日
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ一・十二)
私たちの中で、この世の泉を味わって来た人たちは、魂にかかわる性質の面で、その泉にあるものと、宗教の中にあるものの共通点に気づいています。このふたつは、属している場所が違うだけであって、その本質は同じです。この世の音楽や芝居が、一方的に生み出すものは――魂をかきたて、奮起させ、切望させるもの、情念、涙、侮蔑、憎悪、怒り、憂鬱、喜びなど――すべて同じようなものに過ぎず、それぞれを支える人が異なり、また、設定が違っているだけであって、実のところ、このようなものはいずれ消え去ってしまうし、私たちも、そこに何かを追い求めることはしません。多少ましな音楽、新しい説教者、行ったことのない土地、心をかき立てる物語が、私たちの魂を刺激することもあるでしょうが、結局、私たちは、どこにいるのでしょう?サタンは、仮面の下でどれだけ笑っていることでしょうか!ああ、現実、永遠についての現実のために!この世について言えば、美しく崇高なものに対する鋭敏な感覚を持ち、高い教養にあふれた魂は、浅ましい魂よりも遙かに喜ばれはしますが、これは必ずしも、そのような魂を持った人が、神――人格を持った神――について、個人的な生きた知識を持っており、また、本当に新しく生まれているという尺度とはならないということを、誰もが理解できますように!『信仰の復興』のために祈る時は、自分が何を求めているのか、そして、その考えを広め、実際に推し進めるために、どのような手段を用いるか、気を付けましょう。・・・・使徒パウロが、明らかにしているように、彼の人生と奉仕の全てをつかさどっていた秘訣とは、自分の福音を『啓示によって』受けたという事実でした。聖書を一冊の本として、ほとんど完璧に知っていたとしても、私たちは霊的には死んでいて、役に立たないこともありえます。聖書は、永遠のいのちの基礎として、神の知識と真実について多くを語り、それによって、人は自由になり、思うように利用されますが、同時に、聖書は、人は探求することによって、神を見い出すことはできないと明言しており、そのためには、生まれたままの心の中ではなく、霊の中の知識が求められることを繰り返し、明らかにしています。ですから、いくら、豊富な聖書知識を持ち、キリスト教の教理を専門家として厳密に理解し、生まれながらの人間的な知恵や能力といった資質を駆使してキリスト者としての働きを行い、聖書の内容や主題を巧みに組み合わせて人の心を惹くように語っても、それによって、人の生まれながらのいのちを超えることはできないし、人は依然として霊的な死という世界の内側にとどまったままです。議論したり、説得されたり、魅了されたり、関心を持ったり、『興奮』させられたり、自分で志したり、熱意を持ったり、感動させることによって、人を天の御国へと向かわせることはできません。人はただ、その中へと生まれるしかなく、それは、霊的に生き返ることによって行われます。
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私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ一・十二)
私たちの中で、この世の泉を味わって来た人たちは、魂にかかわる性質の面で、その泉にあるものと、宗教の中にあるものの共通点に気づいています。このふたつは、属している場所が違うだけであって、その本質は同じです。この世の音楽や芝居が、一方的に生み出すものは――魂をかきたて、奮起させ、切望させるもの、情念、涙、侮蔑、憎悪、怒り、憂鬱、喜びなど――すべて同じようなものに過ぎず、それぞれを支える人が異なり、また、設定が違っているだけであって、実のところ、このようなものはいずれ消え去ってしまうし、私たちも、そこに何かを追い求めることはしません。多少ましな音楽、新しい説教者、行ったことのない土地、心をかき立てる物語が、私たちの魂を刺激することもあるでしょうが、結局、私たちは、どこにいるのでしょう?サタンは、仮面の下でどれだけ笑っていることでしょうか!ああ、現実、永遠についての現実のために!この世について言えば、美しく崇高なものに対する鋭敏な感覚を持ち、高い教養にあふれた魂は、浅ましい魂よりも遙かに喜ばれはしますが、これは必ずしも、そのような魂を持った人が、神――人格を持った神――について、個人的な生きた知識を持っており、また、本当に新しく生まれているという尺度とはならないということを、誰もが理解できますように!『信仰の復興』のために祈る時は、自分が何を求めているのか、そして、その考えを広め、実際に推し進めるために、どのような手段を用いるか、気を付けましょう。・・・・使徒パウロが、明らかにしているように、彼の人生と奉仕の全てをつかさどっていた秘訣とは、自分の福音を『啓示によって』受けたという事実でした。聖書を一冊の本として、ほとんど完璧に知っていたとしても、私たちは霊的には死んでいて、役に立たないこともありえます。聖書は、永遠のいのちの基礎として、神の知識と真実について多くを語り、それによって、人は自由になり、思うように利用されますが、同時に、聖書は、人は探求することによって、神を見い出すことはできないと明言しており、そのためには、生まれたままの心の中ではなく、霊の中の知識が求められることを繰り返し、明らかにしています。ですから、いくら、豊富な聖書知識を持ち、キリスト教の教理を専門家として厳密に理解し、生まれながらの人間的な知恵や能力といった資質を駆使してキリスト者としての働きを行い、聖書の内容や主題を巧みに組み合わせて人の心を惹くように語っても、それによって、人の生まれながらのいのちを超えることはできないし、人は依然として霊的な死という世界の内側にとどまったままです。議論したり、説得されたり、魅了されたり、関心を持ったり、『興奮』させられたり、自分で志したり、熱意を持ったり、感動させることによって、人を天の御国へと向かわせることはできません。人はただ、その中へと生まれるしかなく、それは、霊的に生き返ることによって行われます。
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2020年3月4日水曜日
【Daily Open Windows】3月4日
三月四日
彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。(マルコ八・二十五)
愛する友よ、あなたと私が、ひとりの人間として、また、何か主の民の集まりに属しているなら、その集まりが、キリストにあって、神の完全で究極的な目標に向かって進んで行けるのは、ただ、イエス・キリストの霊的な絵姿を見ている場合だけです。絵姿は、前に進むために不可欠なものです。『絵姿』という言葉を、私は使い続けなければいけないでしょうか?ここで考えているのは、あなたがたの肉の目に見える実在の何かのことではありません。それは、あなたの内側で起こった何ごとかであり、あなたの内なる霊の目が、そこで開かれたのです。あなたは、こう言えるようになります、『私は「見た」のであり、それが、人生に大変化をもたらした。見たことで、私はしっかりと立ち上がった。それが、私に進むべき道を示した。それが、生活の原動力となり、自分自身ではなく、見たことが、私を前に進めている。』そう、このようなに行われることを、神に感謝しましょう。
彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。(マルコ八・二十五)
愛する友よ、あなたと私が、ひとりの人間として、また、何か主の民の集まりに属しているなら、その集まりが、キリストにあって、神の完全で究極的な目標に向かって進んで行けるのは、ただ、イエス・キリストの霊的な絵姿を見ている場合だけです。絵姿は、前に進むために不可欠なものです。『絵姿』という言葉を、私は使い続けなければいけないでしょうか?ここで考えているのは、あなたがたの肉の目に見える実在の何かのことではありません。それは、あなたの内側で起こった何ごとかであり、あなたの内なる霊の目が、そこで開かれたのです。あなたは、こう言えるようになります、『私は「見た」のであり、それが、人生に大変化をもたらした。見たことで、私はしっかりと立ち上がった。それが、私に進むべき道を示した。それが、生活の原動力となり、自分自身ではなく、見たことが、私を前に進めている。』そう、このようなに行われることを、神に感謝しましょう。
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2020年3月3日火曜日
【Daily Open Windows】3月3日
三月三日
わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。(ルカ十二・四十九)
火の前には、なにひとつ隠れることはできません。這うように進み、入り込み、そして、燃え広がる火は、そこで、焼き尽くすことができるものと、その力が及ばないものを、はっきり区別します。火は、そこにあるもの全てを、このふたつのどちらかに分けます。すなわち、見つけ出し、分別し、決定します。ルカ十二・五十一の文脈を見てください、『あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。』主は、こう続けます――『今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。・・・』――すなわち、ここで、分別が行われ、全てが、それぞれの属する区分に分けられるのです。
わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。(ルカ十二・四十九)
火の前には、なにひとつ隠れることはできません。這うように進み、入り込み、そして、燃え広がる火は、そこで、焼き尽くすことができるものと、その力が及ばないものを、はっきり区別します。火は、そこにあるもの全てを、このふたつのどちらかに分けます。すなわち、見つけ出し、分別し、決定します。ルカ十二・五十一の文脈を見てください、『あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。』主は、こう続けます――『今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。・・・』――すなわち、ここで、分別が行われ、全てが、それぞれの属する区分に分けられるのです。
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2020年3月2日月曜日
【Daily Open Windows】3月2日
三月二日
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。(第二テモテ一・九)
主イエス様はただ、人の救済者、人の取り分の守り手として、この世界に来られたのではありません。私たちは、主の贖いがこの宇宙でもっとも偉大なものであること、神の全ての関心は贖いにあること、そして、私たちの心がただ贖いだけに占められているべきであることを、強く示していただいて、これを信じるように導かれなければなりません。贖いとは、とても大きなことです。その大きさは、どれだけ誇張してもしすぎることはありませんし、私たちが、いつか贖いの偉大さを本当に知る日が来るのか、私には分かりません。そして、その広がり、その深さ、そのための代償において、贖いはあれほど大きくありながら、贖いとは、永遠なる目的から派生するものに過ぎません。キリストには、自分に託されたものを救済すべき、最善のときに来られました。その意味で、もちろん、人間は救済されていますが、そこにあるのは、それよりもずっと大きな何かです。それは、何よりもまず御子に関わるものであり、そして、主の民が正しい態度、正しい視点を持つ者となるまで、すなわち、神の完全で最終的な関心ごとはその全てが神の御子を中心としていることを理解できるまで、主の民といえども、神が備えられたものと足並みをそろえているとは言えないのです。私たちの思いが、自分だけに――すなわち、贖い、聖化、賛美といったものに――向けられている限り、あるいは、御子ご自身よりも小さなものに向けられている限り、私たちは、ご自身の働きを成し遂げるために神が与えられる原動力を受けておらず、そのため、次のことが必要になります。すなわち、聖霊が働くための十分で最良の土台として、心の中に、イエス・キリストの啓示がなければなりません。神の全ての活力が解き放たれて、有効に用いられることは、私たちと主のつながりの中で初めて可能となり、また、これこそ、神が主を送られた目的だからです。
Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。(第二テモテ一・九)
主イエス様はただ、人の救済者、人の取り分の守り手として、この世界に来られたのではありません。私たちは、主の贖いがこの宇宙でもっとも偉大なものであること、神の全ての関心は贖いにあること、そして、私たちの心がただ贖いだけに占められているべきであることを、強く示していただいて、これを信じるように導かれなければなりません。贖いとは、とても大きなことです。その大きさは、どれだけ誇張してもしすぎることはありませんし、私たちが、いつか贖いの偉大さを本当に知る日が来るのか、私には分かりません。そして、その広がり、その深さ、そのための代償において、贖いはあれほど大きくありながら、贖いとは、永遠なる目的から派生するものに過ぎません。キリストには、自分に託されたものを救済すべき、最善のときに来られました。その意味で、もちろん、人間は救済されていますが、そこにあるのは、それよりもずっと大きな何かです。それは、何よりもまず御子に関わるものであり、そして、主の民が正しい態度、正しい視点を持つ者となるまで、すなわち、神の完全で最終的な関心ごとはその全てが神の御子を中心としていることを理解できるまで、主の民といえども、神が備えられたものと足並みをそろえているとは言えないのです。私たちの思いが、自分だけに――すなわち、贖い、聖化、賛美といったものに――向けられている限り、あるいは、御子ご自身よりも小さなものに向けられている限り、私たちは、ご自身の働きを成し遂げるために神が与えられる原動力を受けておらず、そのため、次のことが必要になります。すなわち、聖霊が働くための十分で最良の土台として、心の中に、イエス・キリストの啓示がなければなりません。神の全ての活力が解き放たれて、有効に用いられることは、私たちと主のつながりの中で初めて可能となり、また、これこそ、神が主を送られた目的だからです。
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2020年3月1日日曜日
【Daily Open Windows】3月1日
三月一日
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。(マラキ三・十)
信仰の復興が起こることを願う、実にたくさんの祈りがささげられ、リバイバルを求める声があげられています。・・・もし、現在、キリスト教の制度と見なされている何かに対して、神の御霊が、それに目をとめず、用いることもなく、そして、大した価値のないもののように扱われたら、(そして、御霊は、神にとって必要なもの、本当に神から来ているものについては一切、妥協しません)、それは、その制度から生まれるものについて、よく考え直すようにと、主が求めていることの現われではないでしょうか?主の教会の霊的な力と影響力がもっとも強かった時代とは、教会組織の形式、組織体系や儀式といったものがどこにもなく、主御自身がすべてであった時代でした。・・・価値のないものごとから逃れるために、神の御霊が力強く入ってくれることが必要です。これが、これだけが、私たちを助けてくれます。ほとんどの人はこのことに賛同してくれますし、この考え方に沿って、いろいろな経験が語られてきました。私たちをずっと惑わせてきたのは、この類のことがらが何度も繰り返し、力を込めて述べられてきたのに、それを聞いた人たちに、その中に、実際の変革を起こす十分な力があると信じさせることができなかったことです。ですから、別の見方をすれば、ご自身の道を進まれる中で、神の御霊が何度も繰り返して排除してきたものに、私たちも真摯な態度で立ち向かうなら、そこに、より永続的で高い水準の霊的な生活、完全さ、そして、大きな成果につながる道が開くことになるのではないでしょうか?
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。(マラキ三・十)
信仰の復興が起こることを願う、実にたくさんの祈りがささげられ、リバイバルを求める声があげられています。・・・もし、現在、キリスト教の制度と見なされている何かに対して、神の御霊が、それに目をとめず、用いることもなく、そして、大した価値のないもののように扱われたら、(そして、御霊は、神にとって必要なもの、本当に神から来ているものについては一切、妥協しません)、それは、その制度から生まれるものについて、よく考え直すようにと、主が求めていることの現われではないでしょうか?主の教会の霊的な力と影響力がもっとも強かった時代とは、教会組織の形式、組織体系や儀式といったものがどこにもなく、主御自身がすべてであった時代でした。・・・価値のないものごとから逃れるために、神の御霊が力強く入ってくれることが必要です。これが、これだけが、私たちを助けてくれます。ほとんどの人はこのことに賛同してくれますし、この考え方に沿って、いろいろな経験が語られてきました。私たちをずっと惑わせてきたのは、この類のことがらが何度も繰り返し、力を込めて述べられてきたのに、それを聞いた人たちに、その中に、実際の変革を起こす十分な力があると信じさせることができなかったことです。ですから、別の見方をすれば、ご自身の道を進まれる中で、神の御霊が何度も繰り返して排除してきたものに、私たちも真摯な態度で立ち向かうなら、そこに、より永続的で高い水準の霊的な生活、完全さ、そして、大きな成果につながる道が開くことになるのではないでしょうか?
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