2020年11月18日水曜日

【Daily Open Windows】11月18日

十一月十八日

そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。(第二テモテ一・十四)

あなたは、人に与えられるものをどれだけ持っていますか?自分が持つものを、人に分け与えていると確信できますか?主が、あの試練、暗闇、不思議な体験を通してあなたを導かれたのは、あなただけのためではありません。主がそうされたのは、あなたが自分の中に閉じこもって、受け取ったものを享受するためではありません。主がそれをされたのは、あなたを管理人として召し抱えるためです。あなたも私も、この事実を受け入れれば、困難と試練の日々も切り抜けることができます。試練は、主の民を富ませるため、また、主に対する務めの備えと資質を強めるために与えられるのだという事実を、私たちは心に留めるべきです。・・・・主に向かって、自分にできる限りの務めの中に解き放ってくださるようお願いしてください。ここで語っているのは、組織化された公式の神への奉仕のことではありません。そのような奉仕の中では、あなたに力があろうとなかろうと、人のために努め続けることが要求されます。それはすべて偽物で、あなたには重圧となります。そのようなものは、断固として拒絶すればよいのです。

2020年11月17日火曜日

【Daily Open Windows】11月17日

十一月十七日

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ八・二十八)

あの場所へと戻ってみてください。主が、しばらくの間、あなたを置かれた場所、主が、どれだけの試みと困難と苦しみがあっても、抜け出そうしないで、そこで人生を生き、そこで働きをするようにとあなたを召されたあの場所です。その場所から抜け出すことをいつも望みながら生きると、その場所が今、もっている大きな価値を見過ごすことになります。そのようなことをせず、その場所に戻って、あなたが主のもので、神を愛し、目的があって召されたのであれば(あなたがキリストの中にいるなら必ずそうです)、神があなたとともに、あなたの中で、そして、あなたが置かれている状況を利用して、何かをなそうとしていることに気付いてください。抜け出そうとすれば、あなたは神の目的を踏みにじることになり、主の意図を、理解することも、受け入れることもできません。これまでの人生のある期間を振り返ってこう言わなければならないとしたら、それ以上に残念で悲しむべきことはありません。すなわち、『人生のあのとき、神の大きな目的に対して、あのような態度を取らず、違う考え方をしていたら、神の目的に気づいていたはずだ。私はいらだつばかりで、忍耐がなく、いつも逃げ道を探していた。私は反抗的で、自分で作り出した別の精神世界に住んでいて、その中で自分でこれになるとか、あれをするとか、勝手に決めていた。だから、あのとき、神が意図されていたことをすべて見過ごしてしまったのだ。』これほど悲惨なことなど、ほとんどあり得ません。

2020年11月16日月曜日

【Daily Open Windows】11月16日

十一月十六日

ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル四・十一)

なぜ、新約聖書には、このように前へ進むことを激励することばが、たくさん現れるのでしょうか?なぜ、新約聖書は、神の民が前に進むことに対する激励と励ましと警告であふれているのでしょうか?そして、なぜ、新約聖書は、これほど実践的な書物なのでしょう?それは、真の霊的な進歩と、主の臨在のためには、私たちの知識をすべて、最新の状態にしておくことが必要だからです。新約聖書の中にあることが何回、書かれているか、あなたたちは答えられるでしょうか。それは、荒野でのイスラエルの生活についての言及です。これもその部分です、『きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない。』何度も繰り返して、このようなことばが新約聖書に挟まれていますね。きょう!きょう!きょう!お分かりでしょう。このすべてが、今、この瞬間の現実とならなければならないのです。未来に向けて進歩するためには、今、この瞬間、私たちが知っていることを、実行に移すことが求められます。だから主は言われます、『あなたたちが進み続けるなら、わたしはともにいる。そして、前に進むとは、わたしがあなたに語ったすべてを実践し、行動に移すことを意味している。』主についての知識が成長するためには、日々の生活の中で、私たちが当てられた光に従うことだけが求められています。・・・・

2020年11月15日日曜日

【Daily Open Windows】11月15日

十一月十五日

わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。(黙示録二・十七)

神は、キリストの中のご自身の啓示を、常に、実生活の中の状況と結び合わせて行われます。あなたも私も、何か、生活上の必要に迫られた場合でなければ、啓示を受けることはできません。啓示は、単なる情報として受けることはできません。それは情報であって、啓示ではありません。啓示は、勉強して受けられるものではありません。荒れ野でマナ(天からのパンというかたちを取ったキリスト)をくださったとき、主は、その日を生きるために必要な分の他には、ひとかけらも取らないように強く戒められた上、ただちに必要な分量を超えたら、病と死が起こって、彼らの上に広がると告げられました。ここにあるマナの原理、マナの法とは、神が、キリストの中にあるご自身の啓示を、現在の状況下の必要と結び合わせて現されることであり、私たちは単なる教え、教理、判断、理論、あるいは、何かものとして、啓示を受け取ることはありません。これは、神が、キリストの啓示の他に、助け、救えるものは何もない状況へと、あなたや私を引き入れることを意味します。・・・

2020年11月14日土曜日

【Daily Open Windows】11月14日

十一月十四日

私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得(ることができる、という望みがあるからです)。(ピリピ三・八)

人間は、キリスト教と真実について、自分なりの解釈を作り上げ、体系立てた考え方を取り入れてきました。そのため、全てが混乱しきってしまい、ネヘミヤのような明白な判断力を持つものでない限り、何が神から来て、何が神から来ていないのか、まったく分からなくなっています。善良で正直で誠実なキリスト者でありながら、宗教的に、何が神から来て、何が神からではないのかということになると、恐ろしく深い霧の中にいる人たちが大ぜいいます。人間の宗教体系がこの混乱を引き起こしたため、数多くの正直な人たちが、自分たちは神から来たものの中にいると、心底、思い込んでいて、そして、神から来ていない、人間の手で作られたものがあれば、自分はそれを判別できると信じています。『・・・ちりあくたは山をなして』います。

2020年11月13日金曜日

【Daily Open Windows】11月13日

十一月十三日

人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(第二コリント三・十六、十七)

何からの自由でしょう?そう、前に話したように、主の方を向いて、心に主のことだけがあれば、聖霊が私たちを自由にします。あなたは今、自由を求めてもがき、奮闘し、戦い、格闘し、祈り、嘆願し、求め、渇望し、主に頼んでいるところでしょうか。それは、非難からの自由、恐怖からの自由、栄光が現れたとき、イスラエルを捕らえて麻痺させていた束縛からの自由です。恐怖から、不安から、恐れから、非難からの自由を求めていますか?自由になるために、何をしていますか?ただひとつ、簡単で直接的な方法があります。主のことだけを思い、主に立ち返ることです。神が満足されたお方としてのキリストを受け止め、自分で神を満足させようと試みるのはやめてください!キリストへの信仰だけを、神は求めています。

2020年11月12日木曜日

【Daily Open Windows】11月12日

十一月十二日

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(第二テモテ四・二)

主の祝福を受けた善良な人たち、主に好意的に見られ、また、主に大いに用いられてきた人たちでさえ、どこかで妥協する心が生まれたら、最後は霊的な悲劇に巻き込まれることがあります。その妥協は、自分で考えた方策の故に生まれたのかもしれません。方策とは、人を誘い込む罠のようなものではないでしょうか!私たちは、あれやこれをして、こんな結果、あんな結果にならないように気をつけなさいと自分に言い聞かせます。これは全て、方策であり、交渉術に過ぎません。『これをしないように気を付けなければ・・・・』――いったい何を?私たちがしないように心掛けることによって、心の全てが表れます。私たちは、人からの敬意、助け、仲間、地位、機会を失うことを怖れているのでしょうか?私たちには、このようなことが、主への絶対的な従順よりも大きな重みを持っているのでしょうか?もしそうなら、私たちの忠実さは二つに分かれています。そして、そのままにしておけば、最後には、恐ろしい悲劇、妥協の後に必ず続く悲劇に陥ることになります。・・・