十二月十四日
愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ四・十五)
この世界にあるものは、新しくなり、形を変えていきますが、神の目的はいつも同じです。神が見せるまぼろしは、見たことのない新しい方向から映されることはあっても、それは、神がはじめから示してきたものです。私たちは、自分を合わせられるでしょうか?『古くなったもの』は、捨て去ればいいのでしょうか?過去にあったことが、正しかったか、間違っていたのかと、問いかけることなしに、私たちは、『前に進み』、そして、『成長』し、『達成』することができるでしょうか?神が見せるまぼろしが人を祈るものへと変えます。聖書に登場する人たちのことを思い返せば、明白なことです。彼らを、取るに足りない些細なことがらから、引き離したものは神が見せるまぼろしでした。祈りを生活に欠かすことができないものに変え、人を本当の苦しみの中で祈るものとするためには、神のまぼろしが必要です。聖書の預言者たちの祈りは、実に広大な範囲に及んでいました!それでも、とてつもなく大きな問題が、何度となく引き起こされました。私たちの神の見方ではなく、私たちの中に神が示されるまぼろしが、いつも躍動し、ものごとの価値を定めるのです。
