2021年6月17日木曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月17日

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。【コロサイ2:13~14】

放蕩息子は、あまりに辛い日々を経験した後で、ついに自分を取り戻しました。それは、苦しくても、価値のある旅です。我に返ったとき、自分が何をしなければならないか、彼にはすぐに分かりました。

あまりに多くの人が、自分が何をすべきかを知らないために、遠い国をさまよい、父親から遠く離れています。自分が置かれている状況にいら立っているのかもしれません。何をしたらいいのか、探し求めているのかもしれません。我に返って、自分の現実の姿を知るまで、何をすべきか、知ることはできません。

2021年6月16日水曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月16日

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。【ルカ15:22~24】

放蕩息子が帰ってきたとき、父親は前と変わっていたでしょうか?

放蕩息子が、父に冷たい仕打ちをしても、また、近所の人たちが哀れんで、『ああ、あの息子、可愛そうな年老いたお父さんになんてひどいことを』とうわさしても、父親は、全く変わっていなかったのです。この父親は、屈辱を受けて失望し、嘆き、心を痛めていたのですが、息子が帰ってきたとき、前と何も変わってはいませんでした。

2021年6月15日火曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月15日

弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。【ルカ15:12~13】

多くの人が、放蕩息子のたとえを説明しようとしてきました。彼を、背信者と呼ぶ人がいます。彼を、罪人と呼ぶ人もいます。しかしながら、神が罪人のことで、『この息子は、死んでいたのが生き返った』と語るところを想像できるでしょうか

どちらも受け入れられなかったので、私は、神のところに行って、願いました、『神よ、お示しください。』

2021年6月14日月曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月14日

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。【ルカ15:17】

おそらく、すべての書の中でもっとも偉大な物語のひとつが放蕩息子の話でしょう。

二人の息子のうち、弟は退屈な生活に飽き飽きしてしまい、遠い世界に憧れて、冒険と興奮を求めるようになりました。彼は、財産の分け前を受け取ると、外の世界に出てゆき、毎日を遊興の中に暮らしました。彼がどのくらい、そんな生活を続けたのかは分かりませんが、結局、豚の世話をして生活するほどに落ちぶれてしましました。これはユダヤ人の男性にとっては、最下層の仕事だったのです。

2021年6月7日月曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月7日

あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らない。【申命記10:17】

神について考えるときに考慮すべき、もっとも大切な点として、神は決して、いら立つことがありません。人間は、いら立つものであり、それには理由があります。私たちは無限ではありません。しかし、神は、何に対しても、誰に対しても、どんな時も、いら立つ理由はありません。

神がいら立つことがないのは、限りのないお方だからです。無限であるからこそ、神は、常に神で有り続け、決して、変わることがありません。神なるものは、すべてが完全な調和のうちにあります。その全てを、神は永遠の御子に授けてくださいます。

2021年6月4日金曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月4日

ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。【ローマ5:15】

ジョン・バニヤンは自叙伝を書き、その書を『罪人のかしらに恵みが満ちる』と名付けました。バニヤンは、この題が、まさしく自分の人生を現していると思っていました。彼は、神の恵みを受けるのに、自分ほどふさわしくない者はいないと信じていました。実際には、ふさわしい人などいなかったのです。しかし、彼は、自分の罪を深く思い、自分を救い出したのは神の満ちあふれる恵みに他ならないと感じていました。

2021年6月2日水曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月2日

あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。知恵のある者は誉れを受け継ぎ、愚かな者は恥を得る。【箴言3:34~35】

誰であろうと、過去に何をしていようとも、すべての人は神の恵みのもとに置かれています。しかし、誰もが神の救いの恵みを経験するわけではなく、ここに、大きな違いがあります。神の恵みはすべての人に及ぶのですが、その恵みが、イエス・キリストへの信仰を通して働くときに初めて、新生が起こります。

すべての人がこの恵みを経験するわけではありません。それでも、神は、ご自身の思いやりで、誰に対しても、悔い改める機会を与えるまで、下されるべき裁きを留め置かれます。

恵みとは、神の優しさです。神の心にある思いやりであり、神の好意であり、心からの愛です。神が、どのようなお方かということを表すものです。