2021年7月15日木曜日

A・B・シンプソン【天が地をおおう日々】 7月15日

私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。(雅歌6:3)

私が主のものであれば、主は私のものです。キリストが私を得ているなら、私もキリストを得ています。ですから、信仰の手をいっぱいに広げ、受け継ぐべきものをすべて求め、備えられたものを使い始めなければなりません。私たちは、この一瞬一瞬、主を、私たちの恵みと力、信仰と愛、勝利とよろこび、すべてのすべてとして受けることが許されています。そして、こうして主を求めるなら、その恵みが私たちに十分であることを知り、すべてを捧げることは、すべてを受けることに等しいことを学び始めます。そう、聖別とは、自分の惨めな人生の代わりに、主を完全に得ることです。そこには、二つの面があります。聖別には二つの人物がいます。その一人は愛する主ご自身です。『わたしは、彼らのために』と、主は言われます、『わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。』私たちが、自分を主に向けて聖め別つとき、主もご自身を私たちに向けて聖め別ちます。そして、その後は、主のいのちと愛と永遠の力のすべてが、私たちの聖別を守り完成させるために、そして、聖別された人生を最大限に用い、活用するために与えられます。こんな救い主に自分を捧げようとしない人がいるでしょうか?もちろん、私たちは今日、はじめに自分を捧げ、それから、これから来る一瞬一瞬が、満たされ用いられるようにと、主に捧げます。

天が地をおおう日々――聖書のみ言葉と生きた真実の365日.アルバート・B・シンプソン

Days of Heaven Upon Earth - A Year Book of Scripture Texts And Living Truths. By Rev. A. B. Simpson

2021年7月14日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月15日―悔い改めは稀である

7月15日―悔い改めは稀である

ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ルカ15:10)

人間は、悪魔に騙され、また、自分の誇りや能力に惑わされているために、この世界が神の宇宙の中で反逆者が住まう場所であることを否定します。そのような人間たちは、この社会が自分から、神の支配を離れ、神の領域から抜け出したことを認めようとしないのです。

それどころか、彼らは、男も女も神の創造物であることを否定します。自分たちには、創造主である神に尽くす義務があることすら否定するのです。

2021年7月13日火曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月13日―つり合いが取れていない

7月13日―つり合いが取れていない

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。(ヨハネ8:31)

この時代の福音キリスト教会では、ほとんどの人がキリスト者の生涯について偏った見方をしていることを認めなければなりません――はじめに信仰を持つと言う行為に、全てかかっているかのように考えられています。すなわち、ある時点で、キリストを信じるという決断をすると、その後は全てが、『勝手に』に進んでいくというのです。

これは、私たちが福音を伝える中で、聖書の言葉を重んじてこなかったことに起因しています。

2021年7月11日日曜日

スポルジョン『信仰の小切手帳』 7月11日:神から離れない

『また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』ヨハネ11:26

はい、主よ、私たちは、決して死ぬことがないことを信じます。魂が肉体から離れることはあり、それは、ある意味の死ではありますが、私たちの魂が神から離れることはありません。それは、本当の死――罪に脅かされた死――起こり得る最悪の出来事である罰としての死です。

私たちは、それを何よりも確かなこととして信じており、主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことは、誰にもできません。私たちはキリストのみ体の各部分です、キリストがご自身の体の一部を失うことがあるでしょうか?私たちは、イエス様と結婚しており、主と死別して、やもめとなることがあるでしょうか?あり得ないことです。私たちの内には、神から切り離すことのできないいのちがあります。そう、聖霊が中に宿っているのに、どうして私たちが死ぬことがあるでしょう?イエス様ご自身が私たちのいのちであり、主が再び死ぬことはないのですから、私たちも死ぬということがありません。主にあって、私たちは一度、罪に死んだのであり、死刑の判決を二度は執行できないのです。

2021年7月10日土曜日

A・B・シンプソン【天が地をおおう日々】7月10日

それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。(第一コリント2:12)

福音のもっとも大きな祝福も、もっとも小さな祝福と同じく、価なしに与えられるのです。主に十年、仕えたあとでも、ふんぞり返って、『私は、これまで積んできた自分の経験に頼って生きよう』などとは言えません。よく、こんなふうに言う人がいます、『今、私は救われていることを知っているし、それを感じている。』ここで、私たちは、誤った土台を築こうとしています――自分自身の中の何かを土台にしているのです。恵みとは、受けるのにふさわしくないのに、価なしに与えられるものであると、常に捉えてください。この長く、深く、限りのない川は、無料なんです。河口でも、小さな流れでも同じように無料であり、どこまでさかのぼっても無料で、その尽きることのない水を、誰でも来て飲むことができるし、浴びることができます。

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月10日

あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。【ヘブル12:17】

平均的なキリスト者は、ある真実について聞いたら、その真理は自分のものになったと考えます。霊性は、学問とは違います。学問では、教科書を読んで、いくつかの事柄を暗記すれば、その科目を習得したことになります。

しかし、霊的な問題は、そうではありません。

耳で聞いたことばが、あなたの霊的な性質の一部分となるような輝きを与えることができるのは、聖霊だけです。真実が私たちの一部分となるように、私たちの心を開こうと、聖霊は望んでいます。

2021年7月3日土曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月3日

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。【第一ペテロ2:23】

私は心の中でうんざりしています。自分自身のこと、友人たちのこと、また、今日の聖書者たちのことで嫌気が差しているのです。あまりに、自分を中心としたものになっていながら、私たちは、神を讃えることを声高に語り、自慢げに、『これこそ神の栄光だ』などと言っています。

自分が中心になっていることは、どうしたら分かるでしょうか?