2022年3月5日土曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第15回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十五回会合―『神は私たちに型を示された:キリストという型を完全なかたちで示された』
Meeting 15 - God Has Shown Us the Pattern: He Has Shown Us That Pattern Who Is Christ In Perfection

第十五回会合
(1964年2月10日午前)

今日は、これまで続けてきた朝の特別集会の最終回ですので、最初に、これまでにお話してきた基本を振り返って、思い出していただければ、非常に分かりやすくなると思います。私たちは、キリスト教が、その初期の姿から、あまりに肥大してしまった、すなわち、その初めの土台にはなかったものが、そこに付け加えられてきたことから話し始めました。そのため、今日の私たちは、始まりの時とはまったく異なるキリスト教の中にいることになります。今日のキリスト教は非常に複雑なものです。あらゆるところで分派があり、組織があり、当初の単純で基本的な現実に較べて、非常に多くのものに分かれています。そして、私たちが主イエス様の中にあった最初の神聖な働きへと戻れるよう、主に願っていることも話しました。それから、神の言葉が示すように、終わりにはすべてのものが大きく揺り動かされると信じていることも話しました。そして、大きく揺り動かされる中で、真に天から出たもの、真に天から来ているものだけが残されることになります。この土台の上に築かれたものの非常に多くが、消え去ってゆきます。私たちは、このことが神の御言葉に記されていると信じています。

2022年2月2日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第14回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十四回会合―『新しいイスラエルの過ぎ越し』
Meeting 14 - The New Israel's Passover

第十四回会合
(1964年2月9日午後)

引用箇所:出エジプト記十二章
今夜は、聖餐式について、少しお話します。これはおそらく、キリスト教の式典の中でも、もっとも広く知られているものです。キリスト教のほとんどすべての宗派で、何らかの形で聖餐式が行われます。もちろん、宗派ごとに、呼び方は異なります。ローマ教会では、彼ら独自の名前で呼ばれています。また、他の団体には、別の名前があります。私たちは、『聖餐式』と呼んでいます。しかし、それぞれに形式は違い、呼び名は違っていても、この式は、ほとんどすべてのキリスト教徒のあいだで行われるものです。あまりにも一般的で、どこででも見られるので、私たちはこの式が意味するものの全容を見失う危険にさらされています。聖餐は、私たちがおそらく毎週、決められた順序に沿って行う様式の一端となっています。そして、そこには、私が言ったように、危険が伴うのです。私たちは、その式が持つ価値のある面は守っています。その式が持つ意味のある面には感謝しています。しかし、私が言ったように、その非常に大きな意味の一端を見失ってしまう危険が、常に付きまとっています。

2022年1月18日火曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第13回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十三回会合―『私たちの生活と奉仕の中に、主は混ぜ物を受け入れない』
Meeting 13 - The Lord Will Never Have Mixture in Our Life or in Our Work For Him

第十三回会合
(1964年2月9日午前)

ヨハネによる福音書の第四章をもう一度、読みます。(そして、読者はこの章を読むことで、大いに得るものがあります)。皆さんには、とくに、この章の二十三節に立ち返っていただきたいと思います。『真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。』

2022年1月7日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第12回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十二回会合―『この御国は、永遠に続く御国である』
Meeting 12 - "This Kingdom is an Everlasting Kingdom

第十二回会合
(1964年2月8日午後)

今回は、今週の一連の講話の最終回になるので、これまで語ってきたことを少し復習しておきましょう。あまり長くはしませんが、昨夜の続きから進めるには十分です。しかし、その前に旧約聖書に戻りたいと思います。ダニエル書をよくご存知の方は、この書の第二章で、バビロンの王、ネブカドネザルの夢について説明されていることを覚えているでしょう。ネブカドネザルは夢の中で、大きな像を見ました。その像は、頭から足まで、体の各部分が異なる材料でできていました。頭は金でできており、体の他の部分は別々の材料でできていて、また、足とつま先は、あるところは鉄、あるところはと粘土で作られていました。

2021年12月29日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第11回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十一回会合—『主の臨在:「主が私たちとともにおられる」』
Meeting 11 - The Presence of the Lord: "The Lord is With Us"

第十一回会合
(1964年2月8日午前)

引用聖句、出エジプト記25:8、ヨハネ1:14:
『彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。』
『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。)この方は恵みとまことに満ちておられた。』

人のあいだに住みたいという神の大いなる願いについて、今朝も話しを続けます。私たちの個人的な生活において、主の民としてともに生きる生活において、主のためのすべての働きにおいて、何よりも大切なことは主の臨在であります。主の臨在ほど重要なものは、他にありません。私たちは、そのことについて、いつも祈っているので、その大切さはよく理解しているはずです。私たちは毎日、主がともにいてくださるように祈っています。会合に集まったときも、主がともにいてくださるように祈ります。何かしら、主の奉仕に出かけるときも、主がともにいてくださるように祈ります。しかし、どれだけ祈っても、祈るだけでは主の臨在は確実なものにはならないことを、私たちはほとんど理解していません。私たちは、主の臨在を求めて、昼も夜も休みなく祈り、幾夜も続けて祈ることがあります。そして、主の臨在を求めてこれだけ祈るのだから、主が臨在されることは間違いないと考えるかもしれません。それは、私たちがどれだけ祈るかかというだけの問題ではありません。主の臨在は、その対象が主にふさわしいかどうかによって決まります。主が臨在するように祈っても、その対象が間違っていれば、主の臨在はありません。

2021年12月7日火曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第10回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十回会合— 『イエス様は新しい天のイスラエルをなすために来られた』
Meeting 10 ─ Jesus Came to Form a New Heavenly Israel

第十回会合
(1964年2月7日午後)

私たちは昨夜、非常に大きな真理を示すところから始めました。それは、地上におられた時の主イエス様のすべての教えと働きは、歴史上における最大の危機のひとつと関わっていたということです。その危機とは、国としてのイスラエルが、少なくともこの時代が続くかぎり、主の目の前から排除されたことでした。この危機は、イエス様が宣教を開始したとき、すでに始まっていました。そして、イエス様が宣教を終えるとき、この危機は決定的なものとなり、そのまま、確定しました。イスラエルという国は、この世界で何百年にも渡って神の関心の中心に置かれていましたが、今や、退けられてしまいました。預言者たちはそのことを前から語っていました。そして、それはイエス様がこの世での宣教活動に入られたときに始まりました。バプテスマのヨハネが荒野に現れ、群衆が彼のもとに集まった時、パリサイ人とサドカイ人がやってくるのが見えました。彼らは全イスラエルの代表者だったのです。ヨハネは彼らに言いました、「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」これは、アブラハムの子孫たちが拒絶されたことを、ことばを換えて表しているに過ぎません。

2021年11月23日火曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第9回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第九回会合— 『それは天から、神の御霊によって来たのですか?』
Meeting 9 --- Has it Come From Heaven by the Spirit of God?

第9回会合
(1964年2月7日午前)

今朝、初めて参加され、今週の朝の会合には、これまで出ていなかった方も、何人かいると思います。新しく来た方を含めた参加者全員のために、今、私たちを悩ませていることが何か、繰り返しておきます。私たちの誰もが知っているように、何世紀という時を経て、キリスト教は、初めには存在していなかったものが積み上げられた姿に変わってしまいました。今日、私たちが知っているキリスト教は、きわめて複雑化しています。神のものに人の手が加わり、そして、人間はこの偉大なものを、自分自身の判断に沿って建て上げようと試みてきました。このために、大きな混乱、大きな分裂が生じ、そして、全てが複雑化しています。キリスト教は、本当に苦しい時代を迎えています。キリスト教は、キリスト信仰自体に対する最大の阻害要因となってしまいました。ですから、この朝の会合で私たちが行おうとしているのは、人間がキリスト教に付け加えたものを見直して、初めの基本的な原理を再発見し、定義し直すことです。キリスト教にとって真実であるものは何か、その明確な定義を示してくださるよう、私たちは主にお願いします。これまでの朝の会合で、非常に多くのことを語ってきましたが、それをここで繰り返すことはしません。今朝、初めて参加された方は、その点をご了承ください。