2023年3月6日月曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第31回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第三十一回会合―『聖霊は霊的な秩序を作るという特別な目的のために来られた』
Meeting 31 - The Holy Spirit Came Especially for the Purpose of Creating a Spiritual Order of Things

第三十一回例会
(1964年2月28日午前)

2022年12月16日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第30回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第三十回会合―『天の支配は悪と善、種の入ったパンと入らないパンを分ける』
Meeting 30 - The Rule of Heaven will Divide Between the Evil and the Good, Between the Leaven and the Unleavened Bread

2022年11月24日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第29回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十九回会合―『あらゆるかたちの律法主義から真に解放される唯一の方法はキリストを知ること』
Meeting 29 - The Only True Emancipation from all Forms of Legalism is to See Christ

第二十九回例会

2022年11月11日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第28回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十八回会合―『律法制度と霊的な生活を明確に分けるしるしはイエス・キリストの直接的な啓示である』
Meeting 28 - The Great Distinguishing Mark Between a Legal System and a Spiritual Life is by Direct Revelation of Jesus Christ

第二十八回例会
(1964年2月26日午前)

引用箇所:ガラテヤ書
昨日の朝は一時間以上かけて、多くのことをお話ししたので、その全体をここで振り返ることはとても無理です。ただ、今、私たちが心を向けている大きな問題は何だったか、それだけを思い出していただきたいと思います。それは、キリスト教の歴史の中でもっとも重要な問題のひとつであったと述べました。それは、『真のキリスト教とは何か?』という問題にほかなりません。言い換えれば、『イエス・キリストが世に入られたとき、一緒に入り込んできたものは何だったのか?』ということです。この問いをめぐって、使徒たちの時代には壮絶な戦いが繰り広げられ、その問いの性質上、この戦いは今も続いています!使徒の時代には、この戦いは奇妙なかたちをとっており、ユダヤ教かキリスト教かという争いでした。後の時代には、ユダヤ教とキリスト教という問題ではなくなりました。しかし、それからずっと、そして今日も、原則的には同じことが続いています。その問いかけとは、『キリスト教は律法制度なのか、それとも、天から来た霊的な運動なのか』というものです。

2022年9月21日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第27回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十七回会合―『キリスト教は地上の律法制度か、それとも、天からの霊的な運動か?』
Meeting 27 - Is Christianity a Legal System on the Earth, or is it a Spiritual Movement From Heaven?

第二十七回例会
(1964年2月25日午前)

この朝の例会で、キリスト者としての生活の中でもっとも重要な事柄について考えるために、私たちは主の助けを求めています。新約聖書は、いくつかの書物からなっています。その中に、キリスト教にとって、これまでに起こったおそらくはもっとも重要な問題に、非常に大きな関りを持つ書物がひとつあります。聖書全体の中では、それほど長いものではありません。どちらかというと、短めの書物ですが、しかし、その小さな空間に、著者はまさしくキリスト教の真髄を詰め込みました。彼は、この大きな問題を解決したいという強い決意をもって筆をとり、この文書を書きあげました。彼は、キリスト教の本質を、この短い書に凝縮しました。この使徒が、これほど大きな重要性と必要性を感じながら、何かを書いたことはそれまでなかったと、私は思います。この手紙からは、この特別な問題に対する著者の情熱があふれ出ています。ある大きな疑問が生じました。その疑問は、キリスト教の本質を破壊しかねないものでした。その疑問とは――イエス・キリストの来臨によってこの世界に入ってきたものとは何か?イエス・キリストがこの世に来られたことで、神が歴史の中に入り込んだのであり、歴史の中に入り込まれた神が、すべてに対して巨大な変化をもたらしたのです。ここに大きな疑問が生じました――イエス・キリストとともに、この世に入ってきたものとは何なのか?それは、古い制度に何かを加えて継続させただけなのでしょうか?古いユダヤ教の制度を基本として形成された律法制度なのでしょうか?言い換えれば、それはユダヤ教に何かを加えて継続させただけなのでしょうか?それとも、天から来たまったく新しく、生きた、霊的な運動なのでしょうか?ユダヤ教という古い衣の数か所に、新しいつぎを当てただけなのでしょうか?それとも、まったく新しい衣に変わるのでしょうか?ユダヤ教の古いぶどう酒の皮入れに、新しいぶどう酒を入れただけなのでしょうか?それとも、まったく新しい皮のぶどう酒入れなのでしょうか?これが大きな疑問でした。

2022年8月28日日曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第26回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十六回会合―『あなたはキリストとともによみがえった人ですか?』
Meeting 26 - Are You Risen-Ones With Christ?

第二十六回例会
(1964年2月23日午後)

コロサイ人への手紙、3章1節から4節を開いてください。『もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら。』私たちの聖書では、このように訳されています。しかし、本来、これは質問の形になっているべきなんです。その質問とはこうです、あなたがたは、キリストとともによみがえったのですか?あなたがたは、本当にキリストとともによみがえらされたのですか?キリストが死んだとき、私たちは皆、キリストにあって死んだと、この使徒は言っています。神の前に、主イエス様の死にあって、すべての人が死んだのです。そして、神の前に、本当に生きているのは、キリストとともによみがえった人だけです。主イエス様の生涯に起こったことを、人間たちも経験しなければなりません。イエス様が死に、よみがえったことは歴史的事実です。これは歴史です。イエス様の生涯に起こった歴史的事実が、信者たちにとっても、個人的経験とならなければなりません。この使徒の言い方の変化に注意してください。彼は死については、何も問いかけていません。それを事実として述べているだけです。彼はただ、『あなたがたはすでに死んでいる』と言っています。しかし、もう一つの点、よみがえりについては、次のように問いかけています、『あなたがたは、キリストとともによみがえらされたのですか?神の前に、あなたは確かにキリストの死によって死にましたが、キリストの復活のなかで、あなたも確かによみがえったのですか?』

2022年8月18日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第25回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十五回会合―『権力によらず、能力によらず、武力によらず、わたしの霊によってと万軍の主は仰せられる』
Meeting 25 - "Not by Might, Not by an Army, Not by Power, But by My Spirit, Saith the Lord of Hosts"

第二十五回例会
(1964年2月23日午前)

引用聖句:ゼカリヤ書4章
この章の全体がある一節を中心としているのですが、それは第6節です。『すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。』今朝は、この章の背景にある歴史的事実について、時間をかけてお話しするつもりはありません。私がやりたいと思っているのは、この章に現れる霊的な象徴を探ることであり、それは、ここにある霊的な状況は、神の民の歴史の中で、たびたび起こってきたものだからです。ここにある出来事はイスラエルの歴史の中で、一度だけ起こったことですが、同じ霊的な状況は教会の歴史の中で何度となく繰り返されてきました。この話しの霊的な特徴は、次のようなものです。すなわち、主に関わるすべてが大きな挫折の苦しみを味わいました。主の家、主の場所が繰り返しひどい打撃を受け、大きな損害をこうむりました。その経験のため、主の民の多くが背を向けて去って行きました。彼らは、主のための働きをそれ以上、続けることをあきらめてしまいました。彼らは、信仰も希望も捨てました。大多数の人は、「全てはあまりに困難だ」と言って、世にとどまる方が安楽であると決めつけてしまいました。