十月三十一日
あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。(第一列王記十八・二十一)
これは、救われていない人たちに向けて発せられた言葉ではありません。決して、彼らに聞かせるための言葉ではなかったのです。救われていない者が、このような二つの考えのあいだで揺れていることは極めてまれです。ほとんどの場合、彼らには何の考えもありません。預言者は、実際にこの民にこう言いました、『あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか?』彼は、この人たちが、弱々しく、あやふやな気持ちのために弱められ、優柔不断さのために弱められ、未解決の問題のために麻痺しているとみていました。ああ、未解決の問題は、人生をどれだけ麻痺させることでしょう。主との思いの食い違い、主とのあいだの未解決の問題があるなら、あなたの人生全体は弱められ、麻痺しています。今はこちらの道、次は向こうの道とよろめいていて、進む道は、ひとつに決まりそうにありません。
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える(エゼキエル36:26)
2020年10月31日土曜日
2020年10月30日金曜日
【Daily Open Windows】10月30日
十月三十日
知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(第一コリント八・一~三)
現実に、私たちは霊的な知識において(情報、事実の知識という意味です)、自分の本来の限界を超えるほどに、大きく前進していきながら、恐ろしい状況に陥ると、これまで何年もかけて積み上げてきたものが何の助けにもならないことに気づいて、大きな衝撃を受けることもあります。大きな出来事に直面して、こんなふうに言うしかありません、『知っていたつもりの現実を、私は理解していなかった。今までの知識は、何の助けにもならない。私は今、主ご自身の個人的で、生きた本物の知識の中にある礎へとまっすぐに引き戻されている。』ここで危険なこととは、もちろん、これまでに私たちが受けてきた全ての教えを投げ捨て、こんなものには何の価値もないと言ってしまうことです。実際には、価値がないのではありませんが、神の考えを頭の中で知ることと、聖霊が神の目的を達成するためにその知識を用いることは、全く違うと、私たちは気づかなければなりません。ですから、私たちは、ひとつひとつの知識の断片を持ち出して、主に本当の意味で吟味していただくことが必要です。そのひとつひとつを見ていただくとき、私たちの態度はいつも、このようであるべきです、『主よ、これまで私が聞いてきたことが、ただ聞いただけで終わってきたと示される、そのような時が来ないように助けてください。私が聞いてきたことを、神の目的に達するための聖霊の活動の基盤としてください。』
知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(第一コリント八・一~三)
現実に、私たちは霊的な知識において(情報、事実の知識という意味です)、自分の本来の限界を超えるほどに、大きく前進していきながら、恐ろしい状況に陥ると、これまで何年もかけて積み上げてきたものが何の助けにもならないことに気づいて、大きな衝撃を受けることもあります。大きな出来事に直面して、こんなふうに言うしかありません、『知っていたつもりの現実を、私は理解していなかった。今までの知識は、何の助けにもならない。私は今、主ご自身の個人的で、生きた本物の知識の中にある礎へとまっすぐに引き戻されている。』ここで危険なこととは、もちろん、これまでに私たちが受けてきた全ての教えを投げ捨て、こんなものには何の価値もないと言ってしまうことです。実際には、価値がないのではありませんが、神の考えを頭の中で知ることと、聖霊が神の目的を達成するためにその知識を用いることは、全く違うと、私たちは気づかなければなりません。ですから、私たちは、ひとつひとつの知識の断片を持ち出して、主に本当の意味で吟味していただくことが必要です。そのひとつひとつを見ていただくとき、私たちの態度はいつも、このようであるべきです、『主よ、これまで私が聞いてきたことが、ただ聞いただけで終わってきたと示される、そのような時が来ないように助けてください。私が聞いてきたことを、神の目的に達するための聖霊の活動の基盤としてください。』
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2020年10月29日木曜日
【Daily Open Windows】10月29日
十月二十九日
すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。(ローマ十一・三十六)
旧約と新約と呼ばれる二つの聖書、または、旧約聖書を年代別に分けて、たくさんの異なった書物が存在するのではないことを、私たちははっきり心にとめておくことが必要です。二つ、または、もっと多くの表現方法が使われることはあっても、聖書全体を通して、始まりから終わりまで、そこに表されていることはただひとつです。時代に分けて扱ったり、また、各時代に異なった性質に着目するという、私たちがよくやる聖書の読み方は、類型論と象徴主義だけを用いる方法と同じように、機械的な考え方をさせる効果はあったかもしれません。ですから、私はここをあらためて強調したいと思います。いくつかの異なった表現を用いながらも、神は、初めから終わりまで、ひとつの考え、一貫しただひとつの考えだけをもって働いておられます。その考えとは、あらゆることが、いつ、どこであろうと、御子を現し、御子に従うということです。
すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。(ローマ十一・三十六)
旧約と新約と呼ばれる二つの聖書、または、旧約聖書を年代別に分けて、たくさんの異なった書物が存在するのではないことを、私たちははっきり心にとめておくことが必要です。二つ、または、もっと多くの表現方法が使われることはあっても、聖書全体を通して、始まりから終わりまで、そこに表されていることはただひとつです。時代に分けて扱ったり、また、各時代に異なった性質に着目するという、私たちがよくやる聖書の読み方は、類型論と象徴主義だけを用いる方法と同じように、機械的な考え方をさせる効果はあったかもしれません。ですから、私はここをあらためて強調したいと思います。いくつかの異なった表現を用いながらも、神は、初めから終わりまで、ひとつの考え、一貫しただひとつの考えだけをもって働いておられます。その考えとは、あらゆることが、いつ、どこであろうと、御子を現し、御子に従うということです。
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2020年10月28日水曜日
【Daily Open Windows】10月28日
十月二十八日
あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(第一ペテロ二・九)
『あなたがたは、聖なる国民』、すなわち、この世から神へと切り離された国民です。新生が意味しているのは、ああ、まさにその始まりの時点で、このことが決して変わらないと、すべての者たちに明らかにされたことです。主イエス様は、このことで疑う余地を全く残さず、そこで、完全で絶対的な分断が生じました。主は、民に対してあえて、危険を冒されます。あなたは、こう言いたくなるのではないでしょうか、『ああ、なぜ、彼らを遠ざけるのだろう、なぜ、彼らが気分を害するようなことをなさるのだろう、なぜ、いつでも、「これは違う、これは別、それも違う」と言い続けて、彼らの心をくじくのだろう?』ああ、この大きな危険を冒さざるを得ないと主が思われたのは、この現実、この恐ろしい現実のため、すなわち、どのようなかたちであれ、神に従わないこの国にあなたがしがみついている限り、天の御国を受け継ぐことはできない、それは絶対にあり得ないという事実があったからです。・・・・新約聖書はこのこと、すなわち、神聖さの中の歩み、心の中、霊の中、いのちの中で、この世から切り離されて、神へと向けられたこの歩みについて、非常に多くのことを語っています。そして、キリスト者としての生活の中、御霊の手の下で私たちが受ける教育、霊的な教育と訓練の非常に大きな部分が、私たちのこの混乱した状態を正すためのであることを、知ってさえいたら。・・・・
あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(第一ペテロ二・九)
『あなたがたは、聖なる国民』、すなわち、この世から神へと切り離された国民です。新生が意味しているのは、ああ、まさにその始まりの時点で、このことが決して変わらないと、すべての者たちに明らかにされたことです。主イエス様は、このことで疑う余地を全く残さず、そこで、完全で絶対的な分断が生じました。主は、民に対してあえて、危険を冒されます。あなたは、こう言いたくなるのではないでしょうか、『ああ、なぜ、彼らを遠ざけるのだろう、なぜ、彼らが気分を害するようなことをなさるのだろう、なぜ、いつでも、「これは違う、これは別、それも違う」と言い続けて、彼らの心をくじくのだろう?』ああ、この大きな危険を冒さざるを得ないと主が思われたのは、この現実、この恐ろしい現実のため、すなわち、どのようなかたちであれ、神に従わないこの国にあなたがしがみついている限り、天の御国を受け継ぐことはできない、それは絶対にあり得ないという事実があったからです。・・・・新約聖書はこのこと、すなわち、神聖さの中の歩み、心の中、霊の中、いのちの中で、この世から切り離されて、神へと向けられたこの歩みについて、非常に多くのことを語っています。そして、キリスト者としての生活の中、御霊の手の下で私たちが受ける教育、霊的な教育と訓練の非常に大きな部分が、私たちのこの混乱した状態を正すためのであることを、知ってさえいたら。・・・・
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2020年10月27日火曜日
【Daily Open Windows】10月27日
十月二十七日
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ二・十)
これまでの人生を振り返ってみてください。仕事の中で果たしてきた役割りを思って、失望することがたくさんあるかも知れません。自分の中で、たくさんのつまづき、不注意を犯してきたことに気づくのではないでしょうか。時には、自分がその仕事に適していない、神が間違えたに違いないと感じたかもしれません。私たちの中にもそう思った人がいます。しかし、神が私たちにされることを、もっと深く見つめ、神の原理を知るにつれ、その中にあるすばらしい論理に気づくようになります。あなたと私は、何かのために召され、何かの理由があって神に引き寄せられ、神によってある場所に置かれたのに、神が何か間違えたのではないかと感じています、『私はこれにふさわしい人間ではない、私はこれに関わるべきではなかった、私はこれをする資格はない、あらゆる意味で、私はこの役割にふさわしくない!』それでも、神は、何があっても、そのようにされます。神は、あなたに力を与え、あなたを最後まで支え、その働きをやり遂げて、あなたはそれに驚き、驚嘆します。あなたが聖霊を受けるとき、それは成されます――すなわち、自分自身の有様を知って、自分の中に沈み込むこんだり、あきらめて、逃げ出すことをしなければ――あなたは、聖霊をしっかり掴んで、成すべきことをやり遂げ、そして、自分がやりぬいたこと、主があなたを通し、私を通して、これをやり遂げたことに驚嘆することになります。これは、神の原理と整合していて、相反するところはありません。神のもっとも奥深い原理と、完全に一致しています。主の臨在のもとでは、肉が栄光を現すことはありません。すべてが神に帰ってきます。神は――気をつけてください―――『この世の愚かな者、・・・この世の弱い者・・・無に等しいもの』(第一コリント一・二十七、二十八)を選ばれたのです。これは同じ者をさしており、主はこのような者たちを選ばれました。完全に首尾一貫しています。そう、主の道は、何と測り知りがたいことでしょう。『神は実に不可思議なかたちで入り込み、その奇跡をなされ』ますが、それでいて、常にご自身の原則に沿って行動されています。
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ二・十)
これまでの人生を振り返ってみてください。仕事の中で果たしてきた役割りを思って、失望することがたくさんあるかも知れません。自分の中で、たくさんのつまづき、不注意を犯してきたことに気づくのではないでしょうか。時には、自分がその仕事に適していない、神が間違えたに違いないと感じたかもしれません。私たちの中にもそう思った人がいます。しかし、神が私たちにされることを、もっと深く見つめ、神の原理を知るにつれ、その中にあるすばらしい論理に気づくようになります。あなたと私は、何かのために召され、何かの理由があって神に引き寄せられ、神によってある場所に置かれたのに、神が何か間違えたのではないかと感じています、『私はこれにふさわしい人間ではない、私はこれに関わるべきではなかった、私はこれをする資格はない、あらゆる意味で、私はこの役割にふさわしくない!』それでも、神は、何があっても、そのようにされます。神は、あなたに力を与え、あなたを最後まで支え、その働きをやり遂げて、あなたはそれに驚き、驚嘆します。あなたが聖霊を受けるとき、それは成されます――すなわち、自分自身の有様を知って、自分の中に沈み込むこんだり、あきらめて、逃げ出すことをしなければ――あなたは、聖霊をしっかり掴んで、成すべきことをやり遂げ、そして、自分がやりぬいたこと、主があなたを通し、私を通して、これをやり遂げたことに驚嘆することになります。これは、神の原理と整合していて、相反するところはありません。神のもっとも奥深い原理と、完全に一致しています。主の臨在のもとでは、肉が栄光を現すことはありません。すべてが神に帰ってきます。神は――気をつけてください―――『この世の愚かな者、・・・この世の弱い者・・・無に等しいもの』(第一コリント一・二十七、二十八)を選ばれたのです。これは同じ者をさしており、主はこのような者たちを選ばれました。完全に首尾一貫しています。そう、主の道は、何と測り知りがたいことでしょう。『神は実に不可思議なかたちで入り込み、その奇跡をなされ』ますが、それでいて、常にご自身の原則に沿って行動されています。
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2020年10月26日月曜日
【Daily Open Windows】10月26日
十月二十六日
彼はそこにあるほら穴にはいり、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と仰せられた。(第一列王記十九・九)
『あなたがここに来ても意味はない』――主はこう言われています。そう、預言者や使徒たちも間違いを犯すおそれがありましたし、実際に、間違いを犯しました。しかし、ひとつ大切な点があります――すなわち、彼らは主の御心を見ており、自分が見た主の願いに対して、自分を捨てきっていたので、主は彼らが犯した間違いの上に豊かに臨み、自らの権威でその間違いを打ち消した上で、しもべたちに、主ご自身とその道を重ねて教えることができたのです。さて、はっきりした態度を示さない人には、このことは起こりません。あいまいな態度をとる人たち、真摯に仕える気持ちのない人たち、自分を捨てきっていない人たちは、主のことを何も学びません。自分を捧げ切っている人たち、主から光が与えられたときは、その強さにかかわりなく、光の方向へと自分をゆだね、まっすぐに進んで行く人たち、一面では、自分の過ち――熱心さから出た過ち――が、神の権威によって取り払われ、消し去られているところを見る人たちこそ、別の面から見れば、まさしくその過ちを通して、主の御心とは何か、また、主はどのように働きをされるか、どのようにして働きはされないかということを、主ご自身から教えられる人たちです。不確かで定まらない心のまま、待ち続けるだけで、すべてを理解できるまで何もしないつもりでいたら、私たちは何も学ぶことはないでしょう。
彼はそこにあるほら穴にはいり、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と仰せられた。(第一列王記十九・九)
『あなたがここに来ても意味はない』――主はこう言われています。そう、預言者や使徒たちも間違いを犯すおそれがありましたし、実際に、間違いを犯しました。しかし、ひとつ大切な点があります――すなわち、彼らは主の御心を見ており、自分が見た主の願いに対して、自分を捨てきっていたので、主は彼らが犯した間違いの上に豊かに臨み、自らの権威でその間違いを打ち消した上で、しもべたちに、主ご自身とその道を重ねて教えることができたのです。さて、はっきりした態度を示さない人には、このことは起こりません。あいまいな態度をとる人たち、真摯に仕える気持ちのない人たち、自分を捨てきっていない人たちは、主のことを何も学びません。自分を捧げ切っている人たち、主から光が与えられたときは、その強さにかかわりなく、光の方向へと自分をゆだね、まっすぐに進んで行く人たち、一面では、自分の過ち――熱心さから出た過ち――が、神の権威によって取り払われ、消し去られているところを見る人たちこそ、別の面から見れば、まさしくその過ちを通して、主の御心とは何か、また、主はどのように働きをされるか、どのようにして働きはされないかということを、主ご自身から教えられる人たちです。不確かで定まらない心のまま、待ち続けるだけで、すべてを理解できるまで何もしないつもりでいたら、私たちは何も学ぶことはないでしょう。
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2020年10月25日日曜日
【Daily Open Windows】10月25日
十月二十五日
なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。(ハバクク一・三)
民と神の働きがうまくかみ合っていないとき、何かの宣言が発せられたとき、明白な神の性質が失われたとき、神が望んでいないのに、何かが足りなくなったり、過剰になるとき、預言者の働きが始まります。預言者は、原則として、危険な流れや良い方向への変化に対する主の応えを――自分自身の中に、または、幻を通して――代弁する者です。預言者は、何があろうと神と同じ土台に立ち、流れは彼に打ち付けます。この預言者の能力は、霊的な知覚、判断力、そして、洞察力から成っています。預言者は全てを見通し、他の誰にも見えないものを見ています。それは、幻であり、そこに映るのは、前向きさ、『はたらき』、企てといったことだけではありません。そこには、今の状態、状況も示されています。それは、預言者としての働きを進めるためではなく、主を貶め、悲しめる霊的な状態があることを現すためです。
なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。(ハバクク一・三)
民と神の働きがうまくかみ合っていないとき、何かの宣言が発せられたとき、明白な神の性質が失われたとき、神が望んでいないのに、何かが足りなくなったり、過剰になるとき、預言者の働きが始まります。預言者は、原則として、危険な流れや良い方向への変化に対する主の応えを――自分自身の中に、または、幻を通して――代弁する者です。預言者は、何があろうと神と同じ土台に立ち、流れは彼に打ち付けます。この預言者の能力は、霊的な知覚、判断力、そして、洞察力から成っています。預言者は全てを見通し、他の誰にも見えないものを見ています。それは、幻であり、そこに映るのは、前向きさ、『はたらき』、企てといったことだけではありません。そこには、今の状態、状況も示されています。それは、預言者としての働きを進めるためではなく、主を貶め、悲しめる霊的な状態があることを現すためです。
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