2021年9月24日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】9月24日:私たちの日々の問題

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方です。(第一コリント10:13)

キリストの信仰者が、キリスト者として生きることが、人間的な試練や問題に対する保証になると考えているなら、その人は間違った教えを受けていることになります。そのように信じている人は、地上を天国と取り違えており、天上のよりよい世界に至ってはじめて実現する状態を、この地上で求めているのです。

神は聖人と罪人のあいだに何の区別も置かないと、誰もが感じています。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくだいます(マタイ5:45)。不思議なことに、私たちはこの真実の裏側になかなか気づきません――すなわち、神は、どんな人間にも起こる問題を、ご自身を信じる神の子供たちにも、等しく与えられるのです。

2021年9月10日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第6回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

会合6 — 『霊的な理解こそ何よりも大切です』
Meeting 6 - "The Most Important Thing is Spiritual Understanding"

第6回会合
(1964年2月5日午後)

マタイの福音書、13章1~17節から、神のみ言葉を読むことにします。

『その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」』

2021年9月1日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】 9月1日:神への信頼

愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができます。(第一ヨハネ3:21)

キリスト者の生活の中で気づく、非常に大切なことのひとつがこれです――私たちは、ご自身を明らかにしてくださった神に、全幅の信頼を置くことができるのです!

キリスト者としての人生が始まったばかりの頃、神は人を裁くために制裁を加えるようなお方ではないことを理解できたのは、私にとって大きな恵みでした。神は、私たちが塵に過ぎないことをご存知であり、私たちの神として、愛と忍耐をお持ちです。

2021年8月27日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月27日:祈らない人たち

この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(第一コリント3:13)

キリスト教において、礼拝者が非常に不足している兆候がいたるところに見られます。

教会の委員会などには、すすんで参加するのに、霊的なよろこびや輝きを求める気持ちがなく、祈り会には全く顔を出さないような人たちがたくさんいます。

祈りもしないし、礼拝もしない人たちが、多くの教会を運営し、教会が進む方向を最終的に決定しているという事実は、私には、いつも、恐ろしく不自然なことに思えます。

2021年8月25日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月25日:サタンの策略

私たちは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。(第二ペテロ1:16)

驚くべきことに、キリストの信者に対するサタンのもっとも巧妙な策略は、私たちの美徳とするところを逆手に取って用いることです!もっと驚くべきことに、この策略は、しばしば大きな成功を収めているのです。

罪の誘惑という手立てを使って、私たちの個人生活を攻撃し、私たちの美徳を通して働くことで、サタンは信者の共同体を攻撃し、自分では守れないようにするのです。

街を攻め取ろうと思えば、敵はまず、その抵抗力を弱め、破壊します。教会は、抵抗しているあいだは、陥落することはありません。それを知っている悪魔は、教会の抵抗を無力化するためにあらゆる策略を用います。

2021年8月20日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月20日:『縮む』クリスチャン

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛し・・・・ました。(エペソ5:1-2)

改宗したばかりの人は、すぐにはじめの熱意を失って、メリハリのない宗教的な日常生活に落ち着くことになるという考えが、キリスト教界の一部では信じられていますが、私たちも同じ考えを受け入れなければならないのでしょうか?私は、聖徒たちの幸福をいつも心で願っているつもりですが、キリスト者たちの中に、『世間並みの信者』という称号を受け入れて満足している人がいることには、心を痛めています。

2021年8月19日木曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月19日:遠くにいる神

わたしは近くにいれば、神なのか。――主の御告げ。――遠くにいれば、神ではないのか。天にも地にも、わたしは満ちているではないか。(エレミア23:23-24)

子供のころ、神の存在についての短い歌にあった『星空の彼方、遠く』という歌詞をよく覚えています。

そこは、人間が神を置いた場所です。神は、星空の向こうのどこか、遠いところにいることになったのです。

この世に生きる人間として、私たちは神の存在を自分に理解できる空間の観点から考えがちです。私たちは、光年とかメートル、マイル、尋(水深)などの単位で考えます。私たちは、神がどこかの場所に住んでいると考えます――違います!神は、ある人々が考えているように、天と地のあるところにいつも住んでいるのではありません。