2020年8月28日金曜日

【Daily Open Windows】8月28日

八月二十八日

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハネ五・三十九―四十)

ものの価値は、それが生きていることにあります。聖書の価値は、私たちが聖書を知っていること、聖書を使うことができ、そして、聖書を基にして演説、すばらしい呼びかけをすることができること、また、聖書から御言葉を完璧、かつ、正確に引用できること、こういったことの中にはありません。私たちが、キリストの同労者、キリスト者という名を担っていることではないし、この偉大な遺産と伝統を受け継いでいることでもありません。聖書の価値とは、それが生きていることにあり、これが、キリストのよみがえりのいのちが示すべきことを、あらゆる面で示しています。・・・・それは、力強いことばであり、きびしい言葉でもあります。キリスト者としての伝統があり、多くのキリスト者としての教えを受けてきたあなたは、おそらく、聖書をとてもよく知っており、または、自分ではよく知っていると思っていて、多分、自分が属する集団の中でも高い立場にいるかもしれませんが、ここで疑問が生じます。大切なのは、たくさんの教え、真実、聖書の知識、人との交流などを知っているとか、自分のものにしているということはないし、また、あなたが、たくさんの会合に参加して、こう言ったことをこれまで何年にも渡って聞いてきたことでも、あなたがそのことと深いつながりを持ってきたことでもありません。全く違います。このすべてを自分のものとしていてもなお、あなたには何か大切なものが欠けていて、この全体の中で不可欠な要素となることができないのです。あなたはまだ、通り過ぎていくものに過ぎず、おそらくは寄留者であって、その本当の価値を受けていません。率直にそのことを認めましょう。個人的な事柄として、この事実と向かい合わなければなりません。


答えは復活にあります。・・・・復活とは、ただイエス様の身に起こったことと捉えるべきではなく、私たちの中で起こったことであり、私たちの内側で行われたことです。これと相対するものがあり、それは、授けられた主の復活のいのちによって、私たちが主とともによみがえったという事実です。そして、これは、ただの教理ではありません。本当のことであり、それは、今も息づいている真理であり、エルサレムで遠い昔に起こったように、私たちの中でも起こることです。それは単なる歴史や伝統ではなく、経験です。・・・・イエス様が死者の中からよみがえったと信じるだけではなく、私たち自身が、そのよみがえりの中、その土台に立って、主とともに生きていくことが、どうしても必要です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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