十月十一日
あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように(しなさい)。(ヘブル十二・十五)

十字架を担って、主の後を追うように召されている私たちも、主が対決された敵たちと相対しています。友人たちや同労者たちの移り気、神のしもべと主張する者たちからの偏狭な批判、大衆の恐怖心をあおる圧力、サタン自身が人の心に引き起こす誤解と妬み――このような試みが、私たちの愛に対して加えられます。この試みに打ち勝つことを望むなら、私たちには、同じ苦しみを課せられても、御父からの杯として受け入れて飲み干した救い主がおられることを、神の臨在の中で覚えるしかありません。主がいつも父の御心を選ぶことを可能にしたのは、父への愛であり、主の勝利の結果とは、『私たちが、愛をもって、御前で聖く、傷のない者に』されたことでした。人がアダムから受け継いだ、愛の過ちの全てを、神が私たちの中で元に戻そうとしているようにも感じられます。神は私たちを十字架の痛みにさらしますが、それは思いつくまま、冷ややかに行っているのではなく、キリストがすでに私たちのために神へと示されているその愛を、私たちの中に再現して、御自身の御心を成就しようと願っているのです。
Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス
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