2020年10月12日月曜日

【Daily Open Windows】10月12日

十月十二日

多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人に も教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。(第二テモテ二章二~三節)

私たちは、それぞれが異なった類いの働きをゆだねられています。レビ人のある者たちには、こう言ってよければ、他の者より、根本的に霊的な任務が課せられていて、それ自体が聖なる器というべきものでした。これとは別の面をつかさどる働きを負った者もいました。私の責務と言えば、おもに、主の御言葉を伝えることなのかもしれません。非常に多くの人たちが、御言葉を述べ伝えることこそが、『霊的な責務』であると考えています(私は霊的な働きを果たすことが、説教師に限定されているという考え方を断固として拒否しています――これは、霊的な働きに限りません)。ほかにも、商売や家事といった、まったく違った分野で、主のための務めを果たす人たちもいるでしょう。レビ人たちは、働きの種類に応じて、組に分けられていました。中には、とても骨の折れる仕事をしている人もいて、幕屋の重い横木や天板を扱い、つぼ、なべ、金の器などの用具を運ぶ人たちより、肉体的にずっときつい仕事を課せられていましたが、それでも、その全てがレビ人の努めであって、全体がひとつの民、ひとつの種族でした。責任が全員に等しく負わされていたのは、全ての部分が集まって、ひとつの責務となっていたからです。同じように、あなた方の世界では、あなたの働きと私の働きは違っていても、そこにあるのはひとつの責務、ひとつの召し、ひとつの責任、ひとつの証しです。ここで大切なのは、それを引き受けること、それを受け止めること、私たち自身を主の証しに対して責任を持つ者たちと認めることです。


これが、主の心からの願いであることは間違いありません。これまでに何度も、主は私を見て、言っていたはずです、『ああ、この男をもっと信頼できたら、どんなにいいだろう!この男が、もっと信用できて、もっと責任感があったらよかったのに!』そして、たくさんの主の民を見てきた中で、私自身も言ったことがあります、『彼らが、これほど世話の焼ける者たちでなければいいのに。ただ、彼らが一人立ちして、自分で責任を取るようになってくれれば、もう心配する必要もなく、彼らに信頼をおけるようになるのだが!』彼らには、前に出るように促し、励ましてあげることが必要であり、また、いつも、後ろから支えて、正しい方向へ導いてあげることが必要ですが、それは、これまでも彼らの気持ちをくじかれたり、いろいろなことがあったからです。ただ、彼らが責任を引き受けて、主の働きへとまっすぐに足を踏み入れる気持ちになって、これ以上、支える必要がなくなってくれたら・・・・。その証しは、どれだけ大きな進歩を遂げることになるでしょう!今こそ、主が恵みをくださり、イエス・キリストのりっぱな兵士として、私たちが苦しみを分かち合い、キリスト・イエスにある恵みを受けて強められ、主の証しを担うことができますように。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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