2025年5月5日月曜日

祈りのハイド(1/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

1.家庭内のキリスト

「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」(ルカ一九・五)とイエスは言われました。その日はザアカイにとって、何という恵みの時であったことでしょう。キリストが家に来られたのですから。

人々がしばしば「祈りの使徒」と呼ぶジョン・ハイドは、イエスが常に臨在され、たえず祈りがささげられる家庭に育ちました。私は、ジョンの父である神学博士スミス・ハリス・ハイド氏とは、彼がイリノイ州カルセージの長老教会で牧会していた十七年間、親しくしていました。シカゴのヘリック・ジョンソン博士は永眠する少し前に、ハイド氏についてこう書いています。

2025年5月3日土曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第八章 神の愛を支配する法

キリストの学校
T. オースティン スパークス著
The School of Christ by T. Austin-Sparks 

第八章 神の愛を支配する法

ヨハネ1章4節、2章3節、3章3節、4章13~14節、5章5~9節、6章33~35節、9章1~7節、11章1~6節、17節、21節、23節、25~26節。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネ1章4節)

ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。(ヨハネ2章3節)

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)

2025年3月7日金曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第七章 油注ぎのもとで学ぶ

キリストの学校
T. オースティン スパークス著
The School of Christ by T. Austin-Sparks

第七章 油注ぎのもとで学ぶ

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイ11:29

そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」ヨハネ1:51

こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。マタイ3:16

2024年12月30日月曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第六章 開かれた天

キリストの学校
T・オースティン-スパークス著
The School of Christ by T. Austin-Sparks 

第六章 開かれた天

私たちは、これまでの瞑想の中で、キリストの学校にいることの意味を考えるように導かれてきました。この学校では、すべての学び、すべての指導、すべての訓練が、キリストを知ること、キリストを学ぶこと、キリストについて学ぶのではなく、キリストを学ぶことに向けられています。ものごとを平易、かつ、明確にしようとするときに、これはもっとも難しい点です。私たちは、キリストに関する多くのことがらを教義、教えとして取り上げることはできますが、それは私たちが求めていることではありません。それは、主が求めているものとは全く違います。求められているのはキリストご自身です。キリストご自身が、すべての真理、すべてのいのちの生きた個人的な具現化、人格化であって、主の私たちに対する目的と願いは、さまざまな側面から見た真理を知るようになることではなく、ある一人のお方、そのお方の生きた人格を、生きたかたちで知ることであり、また、その人格が私たちに伝えられ、私たちがその人格へと組み込まれることによって、すべての真理が、単なる理論的、方法論的な真理ではなく、生きた真理となることにあります。

2024年11月1日金曜日

『神への渇き』、第十章―生活の聖礼典(サクラメント)終章

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer

第十章―生活の聖礼典(サクラメント)

だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。――第一コリント一〇・三一

心の平和に到達しようとするキリスト者が出会う最大の邪魔ものの一つは、われわれの生活を聖と俗との二面に分ける、あの広く行われている習慣である。この二つの面は別々に存在し、道徳的にも霊的にも両立出来ないものと考えられている。そして、われわれは生活の必要上その一方から他方へ常に行ったり来たりしているので、私たちの生活は破綻してしまい、統一した生活が出来なくなって、分裂した生活を営むようになりやすい。

2024年10月24日木曜日

『神への渇き』、第九章―柔和と魂の安息

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer

第九章―柔和と魂の安息

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。――マタイ五・五

山上の垂訓をひっくり返しにして、「これが人類の姿だ」と言ったら、それは人類の真相をかなり正確に伝えたものと言っていいだろう。なぜなら、山上の垂訓で説かれているいろいろな徳目の正反対が、人間の生活および行為のいちじるしい特徴になっているからである。

2024年10月20日日曜日

『神への渇き』、第八章―創造主と被造物との正しい関係の回復

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer

第八章―創造主と被造物との正しい関係の回復

神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。――詩篇五七・五

自然界の秩序が正しい関係に基づいていることは明白なる事実である。つまり、万物が調和して存在するためには、おのおのの物がお互いの関係において正しい場所におかれていなければならないのである。人間の生活もやはりそうである。