2016年8月23日火曜日

心から心への言葉[45]良心の示す道に従いなさい

[45]良心の示す道に従いなさい
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

自分を欺くことはやめて、御霊に従うことを学び、また、自分の良心の命ずる声を聞きましょう。内なる声から逃げようせず、注意深く耳を傾けてください。御霊に従えば、私たちはどんな時もへりくだって、良心の正す声に耳を傾けることができます。信じる者が、自分の多くの罪をひとつひとつ見つけだして、数え上げることなどできるはずがないと考えて、あいまいで通り一遍の告白をするのは間違ったことです。このような漠然とした告白は、良心の正しい働きを殺してしまいます。このようなことをせず、御霊が良心にふれるにまかせ、自分の罪をひとつづつ、はっきりと現していただくべきです。信者が行うべきはへりくだって、静かに、そして、従順に、良心がひとつひとつの罪を現すのに任せることであり、そうすることで、良心の裁きを受け入れ、神に抗うすべてのものを吐き出したいと願うようになります。

あなたは、良心に、自分の生き方をすべて探っていただこうという考えがありますか?自分の良心に、本当の心の状態を明らかにしてもらう勇気がありますか?自分の良心に願って、あなたの生活とのすべてを、神の御心の前に広げてもらおう思う気持ちを持っていますか?自分の良心を切り開いて、すべての罪をさらけ出してみたいと思っていますか?その考えがなく、そうするつもりもなく、恐れて身を引いてしまうなら、それはあなたのいのちの中に憎むべき多くの罪があることを現しています。その罪は十字架の元へ引き出されなければなりません。それはまた、あなたが神に従順ではなかったこと、御霊にも完全に従ってこなかったことも意味しています。そこには、神との交わりを妨げる何かがあることがはっきり現れています。主に向かって、『あなたと私の間には何の関わりもありません』などと言うことはできません。

良心とは、私たちの精神の窓です。そこは天の光が差し込むところであり、信者の精神とその存在のすべてが光で満たされます。ここに私たちは天の光を見ます。その光は良心を貫いて、私たちの思い、言葉、行いを照らし、私たちの過ちを現して、罪をさらけ出します。良心が働くことを許し、主の命じるままに、自分の罪を取り除けば、その時、天の光はいっそう明るく輝きます。罪を告白せず、取り除くこともなければ、罪の傷跡が残り、良心は汚されます(テトス1:15を参照)。その結果、窓は日ごとに暗くなってゆき、光は中まで入り込むことがなくなります。こうなると信者は、不注意に罪を犯し、それが悪いと気づくこともありません。覆い隠されると良心は鈍くなり、鋭敏さを失います。一方で、信者が自分の精神を研ぎ澄ませば、それだけ、良心も鋭くなってゆきます。

信者にとって、これ以上、告白する必要もなくなるほど、霊的になれることなどありません。どれだけ深遠な知識、精一杯の働き、熱意や鉄の意志をもってしても、良心の鋭敏さの代わりになることはできません。信者が良心をながしろにして、代わりに自分で心と感情を成長させようと考えれば、その人は疑いなく、霊的な旅路において後退して行くことになります。

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