2016年1月14日木曜日

心から心への言葉[01]へりくだり

[01] へりくだり 
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』 

載せている荷物が重いほど、舟は水の中へ深く沈みます。たくさんの実をつけるほど、枝は垂れ下がります。樹が大きいほど、根は深く張っています。これは、神から多くの恵みを受けた人たちも同じなのです。少ししか恵みを経験していない人ほど、自分が受けた恵みを鼻にかけます。しかし、へりくだっているのは神の恵みで満ちている人たちです。神のみが人をへりくだったものへと変えられるからです。へりくだりとは、自分のことを、できるだけ思わないようにすることではありません。自分への思いとは関係がないのです。へりくだっているとは、自分を低く見ることではありません。自分をどう見るかということとは、まったく違うのです。真にへりくだった人とは、自分に死んだ人のことです。自分に死んでいない人も、外から見れば同じように行動してるかもしれませんが、内側では、いつも自分を誇っています。まさしく、『人の心は何よりも陰険(エレミヤ17:9』なのです。

 へりくだりとは、人前に出ることを避けて身を引いたり、何かを恐れることとは、まったく、別のものです。このふたつは明らかに意味が違います。自分の力で、また、生来の気性のままに(へりくだった性格の人もいるからと言って)、へりくだろうとしても、そのような人たちはいずれは、引きこもったり、あきらめてしまうことになります。しかし、主にあって本当にへりくだっている人は、責任から逃げようとせず、正面から向かい合います。神と生きる中で、勇気をもって前へと進みますが、その中でも常に、自分が汚れており、無力な者であることを認めています。それでいて、主に信頼すること、主にすべてをゆだねることをやめません。責任を避ける人は、へりくだっていません。むしろ、そうすることで、その人の霊的なあり方に問題を抱えていることが現れてしまいます。 

へりくだって主に仕えながら、責任を真摯に負う人はなんと少ないことでしょう。『私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのですピリピ4:13)。』そして、『このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです1テモテ4:9)。』私たちが、主を見上げていますように。

2016年1月13日水曜日

心から心への言葉[00]序文

序文 
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉 

『あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こしました(詩篇42:7前半)。』心の淵よりも深いものは何でしょう?もっとも賢い男、ソロモンはこんなふうに忠告しています、『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく(箴言4:23)。』神の声を聞いた心は、別の心にも、同じ声を聞き、それに応えるようにと呼びかけます。これこそ、ウォッチマン・ニー兄弟が、心から分かち合いたいと望んだものです。

主に仕えている間、ニー兄弟は、神が語った言葉を伝える中でも、心から出たものだけが、他の人の心にも届くことに気付きました。知識は必要ないというわけではなく、それは上からの啓示、導きから来たものでなければならないのです。そのような知識だけが、生きており、人の心の奥底まで達する力があるからです。ニー兄弟は多くの心へと、言葉を書き送り、また、語りかけて、神の栄光へと向かわせました。

本書は、ニー兄弟が、主に仕えた生涯のいろいろな時期、多くの人に向かって、心から心へと語った話を集めたものです。いろいろな話題にふれていますが、そのどれもがキリスト者の生活に深く関わっています。どの話題も、霊的でありながら、現実的な性質を持つものです。多くの中から選ばれ、翻訳され、まとめられた文章がこの祈りの本、『心から心への言葉』として出版されました。それぞれの引用元は、本の適当な場所に注意書きとして挿入されています。私たちの祝福された主が、これらの言葉を用い、私たちの心をご自身の元へと導いてくださいますように。

2015年12月26日土曜日

ラザロとハリケーン

新約聖書に出てくるラザロのよみがえりの場面を読むと、映画、『ザ・ハリケーン』の中のセリフを思い出します。

『ザ・ハリケーン』は、実際に起こった冤罪事件に基づいた映画です。

将来を期待されたボクサーだったルビン・カーター(リング名ハリケーンは、1966年、無実の罪でとらえられ、黒人に対する偏見に満ちた捜査と裁判の結果、終身刑の判決を受けます。カーターは、獄中から手記を発表して、無実を訴えますが、再審請求はすべて却下され、判決がくつがえることはありません。


十数年後、その著書を手に取った黒人少年、レズラ・マーティンは、これが冤罪であることを確信します。支援者とともに当時の記録を掘り起こしてゆき、検察が証言を捏造した証拠をつきとめて、ついに再審にこぎつけます。

ここでも有罪となれば、終身刑が確定してしまう、最後の裁判。カーターの意見陳述が終わり、審理のための休憩時間に入ります。カーターはすでに20年間以上、服役しています。

判決を待つカーターとレズラの会話を、勝手に書き起こしてみます。

コーヒーを運んできたレズラに、
ルビン、『ありがとう。うまいよ。長い道のりだったね』
レズラ、『ああ。ひとつ、言っておきたいんだけど、裁判がうまく行かなくても、僕があなたをここから出してあげるよ。』
ルビン、『おお、そうか?ありがたいね(笑)』
レズラ、『絶対に、ここから出してみせるよ』
ルビン、『レズラ、一番初めに買った本は何だった?』
レズラ、『あなたの本だよ』
ルビン、『それは、偶然だったと思うか?』
レズラ、『いや、思わない。』
ルビン、『おれも偶然ではなかったと思うよ、レズラ。その名前はラザロの略だ。「死人の中からよみがえった」男。俺の名前、ルベンは創世記、第2932節に出てくる、「見よ。あなたにひとりの子が生まれる。」レズラ、お前がこの二つを、ひとつにしたんだ。すごいよ、「見よ。あなたのひとり子が死者の中からよみがえった。」これは、偶然なんかじゃない。憎しみがおれを牢獄に入れた。今度は、愛がおれを外に出してくれるんだ』
レズラ、『愛が外に出せなくても、僕が絶対にあなたをここから出す。』
ルビン、『そうか、もう、十分やってくれたよ、レズラ』


この後、二人は運命の判決言い渡しの場に臨みます・・・・

この映画を見た1999年、自分はまだ信仰を持っていませんでしたが、獄中でも希望を捨てなかったルビンと、彼の無実を信じる少年レズラの真っ直ぐな瞳、最後の会話は胸に刻まれました。今も、聖書の中のラザロのよみがえりを読むと、この場面の二人の会話が思い出されます。

『ザ・ハリケーン』はいつまでも、心に残る映画です。

『The Hurricane』 - 予告編

2015年12月1日火曜日

Testimony: Watchman Nee in Prison

Watchman Nee in Prison
Wu Yo-Chi 

Dear brothers and sisters, I am from Shanghai, China. My name is Wu Yo-Chi. I turned 68 (2003) this year. I used to be a high school teacher. I was accused of anti-revolutionism in 1960 because I was against "three red flags" and sentenced 7 years. I was jailed in the largest prison in the far east -- Ti Lan Chau Prison in Shanghai. 


Brother Nee was arrested in 1952. After that it seemed that this person disappeared from the earth. Nobody knows what happened to him. Praise the Lord. The Lord had mercy on a lowly person like me. He loved me and kept me so that I'd have the chance to tell you all what I know about Watchman Nee in prison. 

I was with Brother Nee 9 years in total (1963-1972). We were separated for about 2 years in between. Praise the Lord that He eventually brought us back together until 3 days before He was taken by the Lord. There are a lot of testimonies in all these years. Brother Nee is also a human being. Today I'd like to testify this on the human aspect about him. 

2015年6月22日月曜日

電子書籍版、『日々の光』


『日々の光 - Daily Light On The Daily Path』は、聖書から編集されたみ言葉集です。一年を通して、毎日朝夕二回、それぞれのテーマに沿って、数箇所から抜き出された聖句がまとめられてい ます。


イギリス人サミュエル・バグスターによって編纂され、1875年ごろに出版されたもので、現在も読み継がれている礼拝 の書です。
  • 口語訳聖書で置き換えた日本語版、『日々の光』
  • 口語訳、欽定訳(英語)を並べた日英対訳版、『日々の光』

 



この2種類を著作権フリーの電子書籍として用意しました。PC、タブレット、スマートフォンなどで読めるepubファイルです。

下記より、自由にダウンロードしてお使いください。


日々の光(電子書籍)

2015年6月2日火曜日

愛しても知られないように・・・

愛しても知られないように、
仕えても報いられないように、
労苦しても覚えられず、
苦しんでもほめられないことを願う。
それは飲むことではなく、注ぎだすこと、
保つことではなく、こわすこと。
それは他人の祝福のために苦しむ命、愛の命。
真に慰めを与える命である。
同情や気遣いを期待することなく
慰めや賞賛を受けようとしない、
孤独であり忘れられ、一言も語らず見捨てられている。
義の冠を得るために、われは涙と血を代価として払う。
忠実な旅人として生きるためにすべてを失う。
それは、なれがこのこの地上を歩まれし時に選ばれた生活
すべての人を引き寄せ平安を与えるために、進んで打撃、
損失を受けられた生活である。
この先どれほどの道のりかは知らねど、われは強いて進む。
引き返す道なきことを知るゆえ。
完全で真実な方、あらゆることをつぶやくことなく
感謝して負われたなれを模範とさせたまえ。
おお、わが主よ この試みの時、ひそかに流す涙をなれが
ぬぐって下さるように。
おお、主よ、なれこそわれの報いであることをわれに教えよ。
われは生涯、他の人の祝福となることを願う。
 



ウオッチマン・二―

2015年5月16日土曜日

あなたの問いかけ—神の応え—聖書の言葉

私はとても疲れています
私があなたを休ませる
マタイ11:28-30

私は誰にも愛されていません
私はあなたを愛している
ヨハネ3:16 / ヨハネ3:34

これ以上、先に進めません
私の恵みは十分である
2コリント 12:9 / 詩篇91:15

私にはできません
あなたにはどんなことでもできる
ピリピ4:13

私は怖れています
私は臆病の霊を与えなかった
2テモテ1:7