2016年4月24日日曜日

心から心への言葉[22]祈りと心の願い

[22]祈りと心の願い 
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

祈りとは、心の真実な願いを神に向けて表すことです。信じる者の祈りに、神がどう応えたか、聖書には数多くの実例が記録されていますが、その祈りはいつも、心の願いから出たものでした。心の奥に願うものがなければ、どうして祈るのでしょう?祈りがすべて本心から捧げられたものであれば、必ず神は応えてくださり、聞かれずに終わることはありません。はっきりした願いが欠けているとき、私たちの祈りは、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じになってしまうのです(第1コリント13:1参照)。意味のない祈りとなってしまうのは、うまく作り上げようとしたり、伝統的な形式にとらわれるためです。

この意味で、人前でする祈りは、一人だけでする祈りよりも、害のあるものです。祈りが多くの言葉であふれているとき、その9/10は神ではなく、人に聞かせるために発せられています。表現は耳にはとても心地よく、口調には熱がこもっていて、出てくる言葉は、いつも美しく響きます。それでも、すべては人に聞かせるためのものです。その祈りは神には聞かれず、応えられることもありません。心からの願いのない祈りは、神を侮辱するものです。それは、主が忌みきらうものです。

個人的な祈りの中でも、日々、数多くの言葉が尽くされます。その言葉は、よく考えずに口から出ています。聞きなれた言葉ばかりで、みな、同じように響きますが、私たちの心はそれに応えません。こんな祈りは、役に立たないだけでなく、時間の浪費です。神ご自身と、その聖さと権威を本当に知っているものは、そのような祈りはしません。清らかな心で、神の御許に来て、目の前におられる方のことを思うなら、偽りを言うことはできないはずです。事実、私たちには、聖霊が祈らせてくださる以上の言葉を口にしたり、そこに何かを付け加えることなどできないのです。聖霊に導かれていないものは、すべて、見せ掛けに過ぎません。したがって、祈る上で、一番よいのは、何を祈るべきか、聖霊に示していただくことです。そうすれば、神に背くことにはなりません。

神の御前に正直になって、偽ることなく、簡潔に祈ることを学びましょう。人のために祈るときは、特別な注意が必要です。誰かをとりなす祈りは、ただ、借りを返済するために行っていることが多いのです!その祈りは、自分の負債を返す目的で行っているため、そこにはいつも、心からの願いが欠けています。相手に対する真実の愛が心になければ、人のために祈ることはできません。相手の困窮を、自分自身の苦痛と感じるとき、本当の祈りができます。相手に何かが欠乏しているとき、自分も同じ苦しみを感じるなら、真心からの取りなしをすることができます。愛がなければ、声で祈ることしかできません。私たちは、もっと人を哀れむ心を持たなくてはいけません。これからは、言葉だけでなく、心から祈ることができますように。私たちの祈りが、香り高く、神の御許まで届きますように。

2016年4月17日日曜日

心から心への言葉[21]思いやる心

[21]思いやる心 
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

神なる生活の中に、人への思いやりに欠けることがあってはいけません。信者でさえ、生活のうちに、神の恵みが完全に働いていないと、人に対して冷淡で無関心な行動を示すことはよくあるものです。例えば、人のことで心を痛めたり、相手が直面している困難に同情することをしないのです。人への無関心というこの病いは、聖者の間にもよく見られるもので、実は、最も成熟した聖者にすら、あるのです。人への思いやりをなくするのは、気持ちが緩んだときです。このようになってしまうのは、自分の心を完全に抑えることができない人ばかりです。人に無頓着なのは、自分の心を完全に統制できていないものの性格だからです。その心は、いつも千々に乱れており、気持ちを一点に定めることができません。この人は、必要なときも、その場の状況に集中できず、そのため、思慮に欠けているのです。他者とのやり取りにおいては、軽率になりがちです。

自我を大切にしすぎることは、思いやりを無くする大きな原因となります。そのような人は、他者の求めるものに無関心ですが、それは、自分の個人的な関心ごとばかりに心を傾けているからです。例えば、人が寝ているとき、気づかずに物音を立てます。(悲しいことに、時に、それは祈ったり、聖書を読む声なのです!)あるいは、仲間たちと集うとき、個人的な都合に合わせるため、他の人たちを待たせることもあります。また、自分を守るという目的のために、他の人を非難すらします。自分の利益のためには、人を傷つけることすらいといません。このような行いはすべて、十字架の精神が欠けていることから来ています。自分で気づいていても、いなくても、他の人をかえりみず、相手への思いやりを忘れることは、誰にもよくあります。時には、悪気のない、無邪気な考えから、このようにしてしまうこともありますが、それでも、人の心を傷つけてしまうのです。またある時には、人にかかわりを持たないのは、率直で偽りのない気持ちの現れであって、心の中身を隠すことなく出しているのだから、むしろよいことだと考えさえします。

しかし、意図的ではなく、自分で気づいていなかったとしても、人に対して厳しくあることは、御霊の実ではありません。いつでも思いやりにあふれ、人が求めているものを思い、人の困難に同情する心を持ち、また、人を困らせる言葉を口に出さない。こういった行いこそ聖者たちが追い求めるべきものです。主の十字架と御霊の働きは、すべてを打ち壊して作り直す力があり、このおかげで、厳しい性格の人も優しくなれるのです。思いやりのある人になるには、相手の必要なものを思い、苦しみを分かち合う心が必要です。人は、本当の意味で自分のいのちに死ななくてはなりません。そうなって初めて、自分の持つ権利を投げ打ち、苦しみを喜んで受け、他の人のよろこびを求める者となります。私たちは意識が、心を支配するように、自分を訓練しなくてはいけません。そうでないと、心は散漫で、人が求めているものに気持ちが及ばなくなります。『こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです(第2コリント4:12)。』母親を使徒ヨハネにゆだねた時の主イエス様のことばが、私たちにとっての最良の手本です(ヨハネ19:26を参照)。

2016年4月14日木曜日

聖書通読表[9]テーマ別


一日に、旧約聖書、新約聖書、詩篇より選ばれた1~3箇所を読みます。

組み合わせは、その日ごとのテーマを持ち、また、内容にも連続性があるように選ばれて います。初めから終わりへと、個々の書を読み進めながらも、聖書の中で、離れた部分の間の関連を見出すように、考えられています。

テーマ別 コンパクト


テーマ別



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一年間で聖書を通読(全プラン) 

1月
1.詩篇148, 創世記1-2, エペソ1
2.創世記3-4, エペソ2
3.創世記5-6, 詩篇12, エペソ3
4.創世記7-8, エペソ4
5.詩篇8, 創世記9-10, エペソ5

2016年4月13日水曜日

聖書通読表[8]クラシック

毎日、旧約聖書(律法と歴史)、新約聖書、旧約聖書(文学と預言)から取った3箇所を読みます。

旧約聖書の文学とは詩篇、箴言、伝道者、ヨブ、雅歌を指しています。一日読む分量は均等になっています。同じ箇所を二回読むことがあります。

古参の聖書ソフトウェア、『バイブル・スタディー・ツール』の中で使われている通読プラン。 

クラシックコンパクト


クラシック

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一年間で聖書を通読(全プラン) 

1月
1.ルカ5:27-39, 創世記1:1-2:25, 詩篇1
2.ルカ6:1-26, 創世記3-5, 詩篇2
3.ルカ6:27-49, 創世記6:1-7:24, 詩篇3
4.ルカ7:1-17, 創世記8-10, 詩篇4
5.ルカ7:18-50, 創世記11, 詩篇5

2016年4月12日火曜日

聖書通読表[7]マイケル・コリー

聖書全体を、律法、歴史、詩篇、文学、預言、福音、書簡の7テーマに分け、1日に1テーマ、1週間で各テーマから一つ読むように構成されています。一日に読む量は、かなり偏りがあります。 

マイケル・コリーさんが考案した通読プランです。

マイケル・コリー(コンパクト)


マイケル・コリー 


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一年間で聖書を通読(全プラン) 

律法
1.創世記1-3
2.創世記4-7
3.創世記8-11
4.創世記12-15
5.創世記16-19

2016年4月11日月曜日

聖書通読表[6]旧約+新約


毎日、旧約聖書と新約聖書から1か所ずつを読みます。

進め方は、聖書のページ順になっています。一日に読む分量はできるだけ均等になっており、ひとつの章の途中で分割されることもあります。旧約聖書の知識が、同じ日に読む新約聖書によって広がります。

旧約+新約コンパクト


旧約+新約

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一年間で聖書を通読(全プラン)

1月
1.創世記1-3, マタイ1
2.創世記4-6, マタイ2
3.創世記7-9, マタイ3
4.創世記10-12, マタイ4
5.創世記13-15, マタイ5:1-26

2016年4月10日日曜日

心から心への言葉[20]キリストを想う

[20]キリストを想う 
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

新約聖書の4冊の福音書は、主イエス様の一生を完全なかたちで広げてくれます。マタイによる福音書は、イエス様を主として、マルコによる福音書は僕として、ルカによる福音書は人として、そして、ヨハネによる福音書は、神としての主を現しています。福音書を読むとき、私たちはよく、ある過ちを犯します。キリストの言葉と行いだけに目を留めてしまうのです。確かに、主の言葉と行いは、人の心をしっかりと捉えるものですが、それでもやはり、私たちはこの間違いを犯してしまいます。すなわち、あるべきかたちでキリスト自身を見ることがほとんどできません。主の言葉と行いを学ぶ目的は、生けるキリストを知ることにあります。

ですから、私たちは、まず、神が現されたものをじっくり考える時間を持ち、その上で、キリストから示されるものを考えなくてはいけません。心を静め、聖書を開き、そして、地上での主の素晴らしい生涯が現れた一節を読みましょう。主の知恵、恵み、忍耐、慈愛、美しさ、柔和、やさしさ、従順、そして、哀れみを噛みしめてください。主のいのちがページから飛び出して、心が主への燃える愛で湧きかえるほど、主のことを思ってみましょう。主はかけがえのないお方です!心から愛すべきお方です!とてもやさしいお方です。

私たちは静かに主を思い、主がやさしく示される道が、目の前に開けるのを待ちましょう。それが、私たちを御そばへ引き寄せ、主への賛美と渇きを覚えさせます。まだ主を完全に自分のものにしていなくても、その時、私たちは主の愛を味わったのです。主の哀れみ深く、恵みにあふれた行いを深く思えば、私たちのいのちも、主の哀れみと恵みを現しはじめるはずです。例えば、税金をカイザルに納めることについて、主はその権威がどこにあるか、傑出した判断を示されました。そこで、主イエス様が用いられた知恵を私たちは良く知っています。主が地上でされたのは、このように、素晴らしいことばかりです。キリストの人がらに思いを巡らしてみてください。そうすれば、必ず、生けるキリストを知ることができます。救い主を、よりよく知ることができますように。