2016年12月14日水曜日

『トウザーの朝の祈り』12月14日

12月14日
前へと進んでいきなさい

そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いた。
ルカ24:45

経験を伴わない真実は、誤った考えと変わらないもので、同じくらい危険となることもあります。

思い出してください。モーセの座を占めた律法学者たちは、間違った考えを持っていたのではなく、自分で教えた真実を経験できなかったと言う意味での被害者でした。

キリスト者にとって最大の敵のひとつは、宗教的な自己満足であると、気づいてください。もう『たどり着いた』と信じ込んでいる人は、それより先に進めません。そして、自分が、『到達した』ことを示すために、御言葉を巧みに引用して人に聞かせながら、その御言葉を心のうちで現実に経験したことがなければ、そんなやり方は危険なものとなりかねません。

過去の偉大な聖徒たちはみな、熱心に求める心を持っていました。神への強いあこがれで、彼らは燃え尽きてしまいました。彼らは一心に前に進み、上に登ろうと努めました。しかし、熱意のないキリスト者たちは、その高みをけだるい目で見るばかりで、自分もそこに到達したいなどと考えもしていなかったのです。

こんな激励の言葉を、私たちは人に投げかけたいと思います、『祈り続け、戦い続け、歌い続けなさい!』と。神の深みへと進んでゆきなさい。足はしっかり地に着けたまま、心はどこまでも高く上らせなさい!

主よ、私たちの教会とあらゆるキリスト教団体で働く人たちのために祈ります。彼らがぬくぬくした現状の中に浸って、満足しないように勧めてください。魂を獲得する戦場に進んで出て行くよう、彼らの心をかきたてください。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

2016年12月13日火曜日

『トウザーの朝の祈り』12月13日

12月13日
神に栄光を

栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださる。
第1ペテロ4:14


御霊が中に入って油を注ぐとき、私たちは礼拝する者となります!

だからと言って、世界中の全てのキリスト者が、同じように礼拝しなくてはいけないと言うことではありません。御霊の導きの下では、信者たちはどこにいようとも、心を揃えて神を讃えています。

イエス様がエルサレムに入って、ご自身を救世主として現された時、そこには大勢の群衆がいて、大きな声で騒いでいました。礼拝は声に出して行われることが多いとはいえ、大声で叫んでいるときこそ、人は神を礼拝しているなどと、私は考えていません。しかし、私が思うのは、教養があり、静かで、冷静で、落ち着きがあり、洗練された人たちを現す言葉があります。教会でキリスト者仲間が明るく、『アーメン!』と言うのを聞いて、当惑してしまうようなら、彼らには何らかの霊的な啓蒙が必要かも知れません。

信者の誰かの、『神に栄光を!』という言葉にうんざりするのは、神を崇める聖徒たちに御霊が与えようと待っている霊的な祝福と喜びを、あなたが知らないためかもしれません。自分の立場からしかお話できませんが、私は礼拝する人たちの中にありたいと思っています!

愛する主よ、私はあなたへの礼拝がいつも、心からのものであり、そこに、この世的なごまかしも心の乱れも、入らないよう祈ります。いつの日か、あらゆる聖徒たちと天国でともに立ち、心とまことにおいて、あなたを王として崇めることができたら、なんと言う喜びでしょう。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

2016年12月12日月曜日

『トウザーの朝の祈り』12月12日

12月12日
ただの名前ではなく

主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。
第2テモテ2:19

いつの世も、キリスト者と自称する人たちがいて、こう言い張ってきました、『私は正しい、私はイエスの名によって祈っている。』彼らは、神への礼拝は何か決まった形式に基づいて行われると信じ込んでいるようです。イエスの名を唱えることを、何かの魔法の呪文とでも考えているのでしょう。

御霊の助けを借りて、注意深く、聖書を調べるなら、イエスの名前と性質は、ひとつであることに気づくでしょう。イエスの名前のつづり方を知っているだけでは十分ではありません!

私たちが主と同じ性質を持つようになり、御心に従って求めることができるところまで来たら、主は私たちが欲し、必要としている良いものをくださいます。

私たちが神を崇めるのは、新しく生まれ変わった結果です。その時、神は喜んで、私たちに名前以上のものを与えてくださったのです。

主が、私たちにくださったのは新しくなった性質です。ペテロはこの真実をこのように表現しました、『その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。』(第2ペテロ1:4)

主よ、私は祈ります。使徒パウロが信者たちを『神のご性質にあずかる者』と書き記した言葉のように、キリストの御体(なる教会)も自分をみなすようになって欲しいと。この思いを込めて自分を見れば、イエス様が弟子としての私たちに期待しているものに、変わっていくことができるでしょう。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

2016年12月10日土曜日

聖書からの約束:信じること

信じること Belief

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ■ ヨハネ3:16

イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。 ■ 使徒10:43

それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 ■ ローマ9:33

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 ■ ヨハネ1:12

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 ■ ヨハネ3:18

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。 ■ ヨハネ3:36

なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」 ■ 1ペテ2:6

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。 ■ 使徒16:31

わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。 ■ ヨハネ12:46

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 ■ ヨハネ6:35

するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 ■ マルコ9:23

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」 ■ ヨハネ20:29

まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 ■ ヨハネ6:47

2016年12月6日火曜日

『トウザーの朝の祈り』12月6日

12月6日
誰でも来なさい

いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
黙示録22:17

神の人への接し方には、不思議な美しさがあります。主は、世の救いをひとりの人間の中に込め、そして、その人を地上に送って、こう言いながら目立たない道を歩くようにされました、『願うなら誰でもわたしについて来なさい!』派手な鳴り物もなく、足を踏み鳴らして従う軍勢もいません。

やさしい『旅人』がこの地上を歩いています。その声はあまりに静かで、この世の喧騒の中に消えてしまうこともあります。しかし、それは神の最後の声であり、そして、私たちは静まって耳を傾けるまで、真実のメッセージを受けることはありません。

『だれでも』というこの言葉で、主の招きがすべての者に向けられていること、そして、人間にはそれに応じる自由な意思があることを、主は教えてくれます。誰でも来てよい。来なくてはいけないのではない。そして、来るものは、自分でそれを選んだのです。

この意味で、誰にとっても、未来は自分の手の中にあります。世界の権力者たちだけでなく、多くを語ることのない無名の人も、『運命の人』となります!人は、魂の進む道を自分で決めます。人は自分で選び、運命の待つ方向に足を踏み出します。自分の決断によって、地獄に飲み込まれるか、天国に新しい家が用意されます!

ご自身の中の実に大きなものを、神は人間にくださいました!

愛する主よ、私は今日も家族と近しい友人のために祈ります。その中に、まだ賢い選択をしていない者がおり、まだ、家の外からこちらを見ています。主よ、私は、あなたの霊が彼らの心を溶かし、いつの日かあなたの元に来るように祈ります。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

2016年12月5日月曜日

『トウザーの朝の祈り』12月5日

12月5日、新しい日を始めよう

義人の道は、いよいよ輝きを増して真昼となる。
箴言4:18

人がキリスト者となるときは、太陽が昇って、新しい一日が始まった時間のようだ、と聖書は言っています。それから、その道に沿って生きてゆくに連れ、輝く光のように、いよいよ輝きを増して真昼となります。

ここでひとつの疑問が浮かんできます。もし、キリスト者はみな、同じような立場、状況にあるとしたら、なぜイエス様はここで、キリスト者の生活が3つに分かれているような指摘をされたのでしょう?『あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍。』(マタイ13:23)

もし、私がみな、同じようなものであり、同じ場所、同じ状態に『至った』のなら、なぜ使徒パウロはピリピのキリスト者たちに、こう語ったのでしょう、『私はすべてのものを捨ててでも、キリストを知り、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。』(3:7~11を参照)

人は、自分が信じたことのないものを経験することはできない、と私は考えています。それでも私は人々を教え、在り来たりでごく普通のキリスト者としての道を進みながらも、前に進んで、まだ知らない霊的な勝利を宣言するように、励ましていかなくてはいけないと思います。

主よ、日々、キリスト者として生きながら、あなたのように成長したいと試みている私を、あなたの御霊が、いつも、ともにあって励まし、教え、導いてくれることに感謝します。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

2016年12月4日日曜日

聖書からの約束:怒り

怒り Anger

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 ■ 詩篇145:8

あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられる。 ■ ネヘ9:17
 

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。 ■ 詩篇30:5

愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。 ■ ヤコブ1:19-20
 

軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。 ■ 伝道者7:9

短気な者は愚かなことをする。 ■ 箴言14:17

怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。 ■ 箴言16:32

激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。 ■ 箴言15:18

怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。 ■ 箴言29:22

怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。 ■ 詩篇37:8

おこりっぽい者と交わるな。激しやすい者といっしょに行くな。

あなたがそのならわしにならって、自分自身がわなにかかるといけないから。 ■ 箴言22:24-25

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。 ■ 箴言15:1

父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。 ■ コロ3:21

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。 ■ エペソ4:26

人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。 ■ 箴言19:11

争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。 ■ 箴言21:19

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。 ■ マタイ5:22

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 ■ エペソ4:31-32

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 ■ ローマ12:19-21

もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。
あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。 ■ 箴言25:21-22

憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。 ■ 箴言27:4

しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。 ■ コロ3:8