12月5日、新しい日を始めよう
義人の道は、いよいよ輝きを増して真昼となる。
箴言4:18
人がキリスト者となるときは、太陽が昇って、新しい一日が始まった時間のようだ、と聖書は言っています。それから、その道に沿って生きてゆくに連れ、輝く光のように、いよいよ輝きを増して真昼となります。
ここでひとつの疑問が浮かんできます。もし、キリスト者はみな、同じような立場、状況にあるとしたら、なぜイエス様はここで、キリスト者の生活が3つに分かれているような指摘をされたのでしょう?『あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍。』(マタイ13:23)
もし、私がみな、同じようなものであり、同じ場所、同じ状態に『至った』のなら、なぜ使徒パウロはピリピのキリスト者たちに、こう語ったのでしょう、『私はすべてのものを捨ててでも、キリストを知り、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。』(3:7~11を参照)
人は、自分が信じたことのないものを経験することはできない、と私は考えています。それでも私は人々を教え、在り来たりでごく普通のキリスト者としての道を進みながらも、前に進んで、まだ知らない霊的な勝利を宣言するように、励ましていかなくてはいけないと思います。
主よ、日々、キリスト者として生きながら、あなたのように成長したいと試みている私を、あなたの御霊が、いつも、ともにあって励まし、教え、導いてくれることに感謝します。
エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』
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