2016年12月15日木曜日

『トウザーの朝の祈り』12月15日

12月15日
賛美で手いっぱい

彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主。」 
黙示録4:8

死が私たちの態度や性質を変えると願い、また、信じることは、人間にとって、明らかに誤った考え方です。

私が言いたいのはこういうことです。もしこの人生で、天国とその喜びについて語り、歌うことに、本当に心からの幸せを感じていなければ、死が私たちを熱心な信者に変えるはずなどありません!今、神を礼拝し、敬慕する気持ちがないのなら、死ぬ時が来ても、それは重苦しいものでしかないでしょう。

神が、無理やり人を天国に送ろうとされるでしょうか。私には分かりません。神が、誰かに向かって、『あなたは、地上にいる間、私を拝むことに興味がなかったけど、天国に来たら、それがあなたの最大の関心ごとになって、絶え間なく拝み続けるようにしてあげよう』など言うとは、とても思えません。

問題ある発言ですか?

そうかもしれませんが、ヨハネは天国の場面で、生き物たちが昼も夜も絶え間なく、こう叫んでいるところを描いています、『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな!』私が恐れるのは、この世で、神への信仰をうたっている人の多くが、生ける神を褒めたたえ、賛美しようと努めながらも、合間に手を止めている時間が長すぎることです!

主よ、私の人生の全てが、今日のこの日も含めて、あなたへの礼拝の捧げものとなりますように。そして、私が天国に着く時には、あなたを拝む準備が整っていますように。

エイデン・トウザー、『トウザーの朝の祈り』

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