[49]真実と光
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』
天の真理を見るためには、神に光を当てていただくことが絶対に必要です。『どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください』(詩篇43:3前半)。神が照らし出すものとは何でしょう?神の光は、ご自身の真実を照らします。これを理解することはとても大切です。神の光を通してはじめて、その真理を知ることができるからです。真実は説教を聞いて学ぶものではなく、神の光を通して伝えられるものです。今日、兄弟姉妹に、『キリストの助けを受けたことがありますか?』と訊けば、おそらく、多くが、『私は死にましたが、なぜか真実は私のうちに働いていません、』と答えるのではないでしょうか。これは私たちが真理について聞いても、それを見ていないからです。真実を本当に見た者は、光を当てられた者であるはずです。
ある兄弟が証ししました。神がローマ書6章を読むようにと彼の目を開き、その後で彼はエペソ書6章も見たそうです。彼は、自分の死は事実であると同時にキリストの勝利でもあること、そして、自分が確かにその勝利にあずかっているという事実を見たそうです。それまでの彼は、何かを求めていましたが、今はそれを手に入れました。以前の彼は、主の勝利を願っていましたが、今はこう賛美しています、『主はすでに支配された。』それまでの人生とは、なんと言う違いでしょう。かつてはただ、あこがれ、願っていたものが、今は現実となりました。もう、それを掴もうと手を伸ばすことはしません。既に手の中にあるからです。光が来るとき、私たちは立ち上がって、それが完了したと告げます。
キリスト者は誰もがこのような啓発を経験しています。少なくとも、救われたときに一度は経験したはずです。救われたとき、そこで見たのは、救いへの期待や救いへの願望ではなく、また、いずれは救われるという希望でもなく、すべてがキリストにあって、既に成し遂げられたという事実でした。この啓発のもとではじめて、人はキリスト者となりました。すべてのキリスト者は、この光を現実の中に見たのです。実際には、あらゆる霊的な経験は、こうして真実を知らされるところから始まります。真理が広がっていくとき、そこに光が当てられなければ、単なる教義となってしまいます。しかし、神の光を受けるとき、真実は啓示へと変わり、啓示によって、私たちは真実を得るのです。啓示がなければ、人間的な論理で心を満たすことしかできません。啓示を得たものだけが、現実といのちを持っています。
神の光によって啓発されたとき、聖霊が霊的な現実へと導いてくれます。第一に、慰め主が真理の御霊と呼ばれていることから、真理の御霊が存在することは確かです(ヨハネ14:16を参照)。また、一方では真実の言葉である聖書があります。一つには事実としての真理があり、それは神がキリストにおいて成されたことです。聖書は私たちが信じるこの真理を示してくれます。それから聖霊は、私たちを真理の中へ、霊的な現実の中へと導いてくれます。主イエス様がその現実です。御霊によって、神は私たちをこの現実へと引き寄せます。そこで待っているのは、単なる教義や教えではありません。こうして、私たちは自分だけの感情や経験の中にではなく、キリストの成し遂げられた事実の中に生きることになります。
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