[32]おくびょう
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』
私はある兄弟と、樫の木陰でノートを広げて見せあっているところです。どうすれば、主のために最善のかたちで働けるか、中でも、いちばん効き目のある説教とはどういうものか、お互いの考えを比べています。その友はこういいます、『私はいつも説教を書いたら、もう一度、注意深く見直します。その説教に、聞き手の誰かの気分を損ねるかもしれない箇所があれば、すぐに消してしまいます。』これを言ったのは若い牧師で、彼が最も不安だったのは、自分が説教師であると人に知られることでした。私は、聞き間違えたのかと思い、彼に確かめました、『あなたが言っているのは、罪や、やがてくるさばきの恐ろしさについて語っている厳しい言葉は、自分の言葉も聖書の御ことばも含めて、もっと優しい言葉に置き換えたり、削除することさえあるということですか?』彼は答えました、『そうです。その言葉が誰かの気分を害すると思ったらそうしますね。』私は、これが彼の正直な証しなのだろうと思いました。なぜ多くの説教者がこれほど無力なのか、ここに現れているのではないでしょうか?『人を恐れるとわなにかかる』(箴言29:25前半)。これは何と言う真実でしょうか!
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