2016年6月17日金曜日

心から心への言葉[36]生きた供え物の3つの特徴

[36]生きた供え物の3つの特徴
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

ローマ書の12章で、献身とは、私たちのからだを神に仕えるための聖い、生きた供え物としてささげること、とされています。このような供え物には3つの特徴があります。ここで語られるひとつ目は『聖い』こと、すなわち、神のために選び分けられていることです。私には、日本との戦争の間、中国政府の役人だった友人がいます。一度、彼を食事に招いたことがあるのですが、答えはこうでした、『すまないがそれはできない。私はこの体を国に売ったのだ。もう自分の好きなようにはできない。』私たちの体が選び分けられたというのも、これと同じ意味です。誰一人、それに触れることも、使うこともできません。神が用いるために取り分けてあるからです。これが、『聖い』、または、神のために選び分けられていると言う意味です。

供え物の二つ目の特徴は、神に『受け入れてもらえる』ことです。そして、三つ目の特徴は、そのような供え物は、なされて『当然』のものであることです。神は私たちに何かを与えて、何かを与えないということはされません。主は私たちにも何も隠さずに差し出すことを望んでおられます。主は、どれだけ与えるかではなく、この主の望みの通りに、私たちが動いているかを見ています。神はいつでも、ためらうことなく、余すところなく、与えてくださいます。私たちも、主に対して同じように与えるべきではないでしょうか?私たちの献身において、『量』を見れば、私たちが実際に神に与えるものはあまりにも僅かで、主がくださったものとは、比較にすらなりません。けれども、『質』は同じはずです。

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