[38]痛みを伴う喜びがいちばんの喜び
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』
ツァレファテのやもめの女が、エリヤに振る舞った食事を覚えているでしょうか?かめの中の一握りの粉と、つぼにほんの少しの油が残っていただけだったのに、預言者エリヤは、小さなパン菓子を作るように求めたのです(第一列王記17:8~16を参照)。人間的な見方をすれば、エリヤの言葉はこの上なく残酷なものでした。預言者のためにパン菓子を作っている時、やもめの女の心はどれだけつらかったでしょう。その後、どうやって食べて行けばいいかも分からなかったのです。しかし、このパン菓子が最後とはならなかったことに気を付けてください。それどころか、その後も長い間、食べ続けることができたのです。それだけでなく、よこしまなアハブ王の時代に、国全体に多くのやもめ女がいましたが、後世まで記憶されるのはこの人だけでした(ルカ4:25~26を参照)。それは、彼女が持っていたもの全てを神の預言者に捧げたからに他なりません。
全てを主に捧げるとは、情熱的な衝動から一度だけするものではなく、気の向いた時だけ行うというものでもありません。どんな時も、続けて行かなくてはいけません。捧げ続けることは、おそらく、大きな痛みをもたらすでしょう。しかし、大きな喜びも与えてくれます。痛みを伴う喜びこそが最良のものです。そんな喜びのおかげで、涙を流すことも、よくあります。喜びの涙が流れ落ちるとき、賛美が沸き上がります。この喜びは特別のものです。それはこの世の肉的なキリスト者には、経験できないものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿