[33]神に知られている
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』
神に仕える中に、喜びと感じることはありますが、私は満足していません。このような状態で、『わたしについて来なさい』と呼びかけられるお方が、私に向かって直接、『ついて来なさい』と語りかけておられることに気付きます(例えば、マルコ10:21を参照)。ああ、主について歩くその途上でさえ、私は何と無知な者でしょう。私は、いつも、近道をしようとして、迷ってしまいます。しかし、聖書知識を追い求めるのはよくないことなのでしょうか?それでも、今日、私はあることに気づくようになりました。それは、人生のどの局面で、何が私に降りかかろうと、私は本当に何も知らないし、知りたいとも思わないことです。『人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです』(第1コリント8:3)。
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