2020年1月4日土曜日

【Daily Open Windows】1月4日

一月四日


この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。(ヘブル十二・二十七)

エルサレムの崩壊によって――この(ヘブル人への)手紙が指摘した崩壊のことです――ユダヤ民族から見れば、まさしく、この地全体が揺り動かされました。全世界の中心点としての神の宮は、地にまで崩れ落ちました。祭司という特権階級のもとにまとまっていた聖職者制度も消え去りました。宮での務めは終わり、国は、もはや、ひとつに結束した人々の集団ではなくなりました。こういったものは、いつ取り除かれてもよかったのです。それが、どれだけ長く存在してきたでしょう!どれほど大きな力にも、持ちこたえてきました!自分の存在が終わることなど絶対にありえないという強い確信を、彼らは持っていたことでしょう!自分たちのすべてが神と固く結びついているのだから、破壊されることも、この世から消えることも絶対にありえないと、彼らは信じきっていたことでしょう!すべてが失われる最後の瞬間まで、彼らは激しく戦い、しがみついていたはずです!しかし、それもまったく無駄でした。神が、もはや、それまでの枠組みや地上の制度を欲してはいなかったのは、こういったものが、あまりに多くの場所、活力と資材を占めてきたため、本当に霊的な状態が実現する妨げとなっていたからです。その中で、霊的な価値が占める割合は、結局、あまりに小さく、また、霊的な関心は、宗教的な機構と伝統という入り組んだ迷路のずっと奥の方に置かれてしまっていたため、そこには何の価値もなくなっていました。目的があっても、そこに達する手段は近くにはなかった、すなわち、手段と目的のあいだの開きが、あまりに大きすぎたのです。神が本当に求めるものに、直接、触れることはなく、そのあいだにあるものが、あまりに多すぎました。それは、もはや捨て去るしかなく、そのままにしておくことをやめて、神ご自身がそれを払いのけたのです。


払いのけられた後に残ったものは、霊的で天的な道を歩むキリストだけで、他にはありません。すなわち、天におられるキリストであり、この地上には、主の御霊によって、ひとつに集まる場所、あるいは、人々が集う機会が備えられました。天には、大祭司であり、ご自身をささげられたキリストがおられ、地上には、神の家をつかさどる秩序、純粋に霊的で天的な秩序がおかれました――形式的なもの、人の手で変えられたり、加えられたもの、にせもの、また、物質的なものではありません。秩序はいのちから生まれるのであり、もし、このいのちが、神から来ていて、そこに、人の手がかからなければ、神の秩序はおのずと生じるものです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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