2020年1月12日日曜日

【Daily Open Windows】1月12日

一月十二日


わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。(ヨハネ十四・十九)

今日、神との関わりは、多くの方面に広がり、広い範囲にわたっていますが、生きた関わりではなくなっています。そこには、神への感謝の言葉があり、形式に沿った神への礼拝があり、神と結びついた儀式はあります。そう、程度の差はあれ、何らかの神への献身、神の崇拝、神への感謝のことば、おそらく、神への願いは認められますが、そのどれを取っても神との生きた関わりには届かないものです。それでも、主が生ける神であるという事実は、主と関わりを持つ者たちが、そのまま生き続けることを意味しています。主はこう言われます、『わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです』と。神と生きた関わりを持つことは誰にでも許されています。・・・


それは、この世にある死んだ秩序との関わりではなく、人格を持つ生ける主との関わりです。しかし、お尋ねしますが、あなたには、この生きた関わりがありますか?あなたは、この世の制度、秩序に従って生きているだけですか、それとも、生きた神との生きた交わりの中にいるのでしょうか?主の願いは、そのようなご自身との関わりが、生活のあらゆる面で生きたものであることです。自分も生ける神に近づくことが許されていると知るのは、すばらしいことです。正しいか、間違っているか、迷っていることが何かあるのですか?では、あなたには生ける神がおられるのですから、きいてみてください。主は開かれており、主にはいつでも近づくことができ、主は生きておられ、主には、何をお願いしてもかまわないのです。生ける神との生きた関わりを享受することこそ、神はいつも願っておられます。主の心からの願いは、あなたが主を生ける神として受け止めることです。『神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』主に近づくとき、神がそこにおられることを信じなければなりません。心を漠然とした宇宙へ、何もない虚無の空間へと広げていってはいけません。そうではなく、私たちは人格を持った生ける主のもとへと近づいているのです。主が、そのようなお方であることを、私たちは信じています!そこに、あいまいなところはひとつもありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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