2020年1月17日金曜日

【Daily Open Windows】1月17日

一月十七日


こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(第1コリント十三・十三)

すべての贈り物を受け取りながら、なおも、まったく未熟なままでいることもありえます。霊的な広がりとは、たくさんの知識を持つことによって起こるのではなく、また、成長への道とは、信仰の力が外へと現れていくことではなく、むしろ、内側の忍耐によるところが大きいのです。神が盛んになっていく道を知りたいですか?それは、愛によるのです。主が必要としているのは、主ご自身に対して開かれた、純粋な精神であり、すべての聖徒に向けられた愛です。お互いに対する混じりけのない愛――主にある愛があるところであれば、主は、その満ち満ちた姿へと導いてくれます。・・・エペソ人への手紙では、キリストのみ体なる教会に関するもっとも深遠な教えが語られ、その中に、天の真実が余すところなく明らかにされていますが、この手紙は、初めから終わりまで、愛の金の糸が途切れることなくつながっています。この手紙に込められたものが何かを考えると、これは大きな意味のあることです。第一コリント十三章は、偉大なる愛の書であり、全ての『贈り物』のかたわらに、置かれています。愛こそは、まさしく人を霊的にする、本物の霊性であるといえます。愛とはあらゆる贈り物の中で、もっとも困難で、もっとも偉大なものです。『あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです』(第二コリント六・十二)。あなたの心はあまりに狭く、縛られていて、閉じた垣根のように、押し込められたままで、息が詰まりそうです!『私たちの心は広く開かれています。あなたがたは、私たちの中で制約を受けてはいません。』


私たちの霊的ないのちを測ってみても、私たちの心より大きくはありません。頭に蓄えられた知識は、霊的であることの尺度とはなりません。あなたが自由になり、解放され、大きく、豊かになる道とは、心の道です。霊的であることは、み言葉に語られたことがらに、心で同意していることではなく、自分の心を他の心へ――全ての聖徒たちへと、溶けこませることです。悪魔は、たくさんの主の子供たちを、彼ら自身の限界という鍵のかけられた部屋に閉じ込め、また、他の神の子供たちのあいだに壁を作って、彼らの愛を凍りつかせてきたのです。その部屋からの出口とは、愛を増し加えることです。そして、その出口を見つけるまで、私たちは閉じ込められたままでいるしかありません。・・・真に霊的であることは、心の中にあふれ出る神の愛によって測られます。本当に霊的なものはすべてが、愛の上に置かれ、愛から生み出されるものです。力ではなく、知識でもなく、他の贈り物でもありません。こう言ったものは第一のものではなく、初めにあるべきものは愛です。こうして、神が盛んになっていきます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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