2020年1月14日火曜日

【Daily Open Windows】1月14日

一月十四日


私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ四・十三)

キリストの霊性は、主が、日常生活の現実から切り離されていたことにあるのではありません。実際には、主は、日々の生活の現実的な問題と向かい合うために、天にあった力と備えを持ち込んでいたのです。あなたも、家の扉や衣服、床を洗ったり、また、毎日の家事を行いながらも、霊的であり続けることはできます。人は、霊的な働きと、通常の働き、例えば、家事などは、まったく別々のものであると考えているようです。このような人は、霊的な働きと、他の働きを分けて語ります。さて、あなたがたは、何ごとであれ、それを行うためにふさわしいものであれば、天にある備えを用いることができますし、そうすること自体が証しともなります。


ほとんどの人には、天国に備えてあるものを引き出して、祭壇の上で聖職を執り行う機会はありません。彼らの働きは、ほとんどが、習慣的で日常的な生活の中で行われるのですが、自分にはその働きを行う能力が全くないと感じることが非常によくあり、そんな時は、つい、こんなふうに考えたくなります。すなわち、もし、自分に何か果たすべき霊的な責務が与えられていたら、あるいは、会合に参加したり、求めるたましいに霊的なことがらを語るよう命じられていたら、自分も主に対して堂々と助けを求めてよかったし、主も最後まで支えてくれたはずだ、と。些細なことがらや、日常のありふれた働きのことでは、このような考え方が、少しでも心に浮かぶことはめったにありません。さて、自分で霊的な働きと呼ぶものに入ってくる備えと、完全に同じ備えが、日常の働きの中にも入ってこなければなりません。そのすべては、霊的な根拠のもとに行われなければならない、すなわち、証しでなければならないのです。毎日の当たり前の仕事をやり遂げるために、普通の人間的な力よりも多くが求められることは非常によくあります。霊性は、私たちがすべてを、天から来るものとして行うことの中に存在しています。境界の引き方に気を付け、霊的なものと、『それ以外』を切り分けることをしないようにしましょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: