2016年3月21日月曜日

心から心への言葉[17]何をするにも、主に対してするように

[17]何をするにも、主に対してするように
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

信者は誰もが福音を伝える働きをするべきです。とは言え、すべての人が説教師となるよう召されているわけではありません。キリスト者の日々の働きは、何であれ、すべてが、神の働きであるべきです。ほとんどの信者は、外に出て働き、自分と家族を食べさせなくてはいけません。神のために働くものは、主に仕えており、その労働に対する報酬を受け取ります。彼らは、仕えるほどに、その働きとの関わりも深まり、喜びを持って打ち込むことになります。これに対して、一般の信者の状況は、ずっと込み入っています。彼らは、この世の仕事で手一杯になっています。仕事の虚しさから解き放たれる道があっても、自分と家族が生きて行くためには、そんな生活をやめるわけにはいきません。こうなると、そこに喜びなどありません。

これは、主にある姉妹にとくに、よくあることです。主を愛する多くの姉妹は、仕えたい気持ちを持ってはいますが、家族がある以上、妻であり、母親でもあるのです。みな、掃除、料理、子供の教育と世話といったこの世の義務に時間を割かざるを得ません。このような仕事でほとんどの時間を取られてしまうので、思うように主に仕えることができない自分を見出すのです。こうして、女性たちは心に悲しみを抱えることになります。

これに加え、福音を伝える働きの中で、自分の行いに神の臨在を感じ取ると、人は、それが神の御業だと信じます。今日、子供の頼みごとを聞いたり、人の話しを聞いたり、職場に静かに座っていたり、台所で忙しく立ち回ったりと、この世の雑事に振り回される中で、姉妹たちには、神の臨在を感じることなど、とてもできそうに思えません。それでも、主は、私たち信じるもの、すべての父ではないでしょうか?『御父』と言う呼び名には、愛に満ちた思いやりと、優しい哀れみが込められています。神はどれだけ、私たちのことを気にかけていてくださるでしょう!

福音のために汗を流すものは、誰でも神の子供です。この世の問題に対処する人たちも同じです。主は、福音を伝えるものを助けてくださいますが、生活のことで精いっぱいのものにも、同じように、気を配ってくださいます。全てのはたらきの中で、神に会い、神の臨在を体験したいと望むなら、この言葉を覚えておいてください、『何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい(コロサイ3:23)。』これが、信じるものたちへの福音です!神を讃えましょう!神は、私たちが直接、おこなった労苦だけでなく、間接的な貢献も等しく、受け入れてくださいます。『何をするにも』という言葉は、私たちが神に仕えたいと願って行う、罪の混っていないすべての労働をさしています。したがって、子供の世話をする母親たちも、主のために働いていると考えてよいのです。家事をする妻たちも、同じように神のための労働を行っています。会社で働いて生計を立てている人、仕事で誰かを支えている人たちも、やはり、主のために働いていると考えることができます。何をするにも、主に対してするようにする。このことを、忘れないようにしましょう。

何をするにも、『おお、主よ、これはあなたのためにします!これをしているのは、あなたのためです、』と、主に向かって言えますように。こうすれば、この地上で行うすべてを、主に対してするものとして、聖化し、清らかに行うことになります。私たちは、あらゆることにおいて、主に仕えることが可能です。そして、はっきりと、なにか特別の働きに召されたときは、その中でも同じように、主に従順でありましょう。

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