2021年7月30日金曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月30日

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。【第一ヨハネ3:2】

私の好きな気味悪い一服の絵があるのですが、その絵がこの考え方の理解を助けてくれます。それは、天使と猿が部屋の中に並んで座って、お互いを見つめ合っているという絵です。

天使と猿が、ひとつになることは絶対にあり得ません。どうすれば、そんなことができるでしょう?

もし偉大なる全能の神が、ご自身の栄光と祝福に満ちた天的な性質を天使から取って、猿の中に預け入れたら、猿は飛び上がり、天使と握手してその名前を呼ぶでしょう。その瞬間、二者のあいだに類似が生じるからです。

2021年7月29日木曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月29日

その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。【第二ペテロ1:4】

ここで使徒ペテロは、主による取りなしという問題を、自分なりに説明しています。神が私たちに福音の約束を残されたのは、その約束によって、私たちが神のご性質にあずかる者となれるためであると、彼は言っています。

これはどういうことでしょうか?

これが意味するのは、罪人が家に帰るとき――すなわち、救いの信仰をもって、悔い改めてキリストを信じるとき、神は、この罪人だった者の胸に、ご自身の性質の一部分を埋め込むということです。このとき、神の中にある神の性質と、罪人の中にある神の性質は、異質なものではなくなります。二つはひとつになり、そして、この罪人は家に帰ったのです。不一致はなくなり、似ていなかった部分は取り去られ、そして、人の中の神の性質が、神と人との交わりを自然なものとします。

2021年7月24日土曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】 7月24日:両面交通

7月24日:両面交通

するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:24)

この不確実な時代にあって、信仰と不信仰のあいだの往来は、聖書が予告したように、悲劇的なほど混み合っています。しかし、この往来は、不信仰の方向にばかり向かっているのではない――時には逆に進むことを知れば、心も励まされるのではないでしょうか!

時おり、応用心理学と安っぽい詩歌の混合物に胃痛を起こした『進歩的な』人たちが、み父の家に帰る放蕩息子のように、こちらに戻ってくるという明るい知らせを聞くことがあります。確かに、正統派から進歩派への動きは、多くの場合、非常にゆっくりとしたものであり、あまりに遅すぎて気付かないほどです。私は、神との霊的な経験をした結果として現代思想を受け入れた人の例を、一度として聞いたことがありません。

2021年7月23日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月23日:高ぶりの現実

7月23日:高ぶりの現実

主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道・・・・を憎む。(箴言8:13)

人間の高ぶりが持つ危険と偏狭さについて、警告させてください。高ぶりは世界のどこにでもあり、自分を太らせるものならほとんどなんでも、飲み込んでしまいます!

これまで出会った人たちの多くは、絶対にへりくだったりしないと決めているために、神と正しい関係を築くことにはならないだろうと、私は確信するようになりました!

高ぶりは、人間が持つ恐ろしい性質であり、これはイエス様の時代だけでなく、現代においても同じです。

2021年7月22日木曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月22日:私たちの神々しい会話

7月22日:私たちの神々しい会話

そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。(マラキ3:16)

魂をキリストへと勝ち取ることに熱心なあまり、神とその恵みのこと以外、何も話そうとしないキリスト者たちに、私は会ってきました。

そのひとりは、初期の開拓伝道者で、カナダ人のロバート・ジャフレイです。彼の一族は、トロント・グローブ・アンド・メール紙の社主だったのですが、若いキリスト者であった彼は、家業に加わるよりも、神の召しに従って中国に向かうことを選んだため、相続権を剥奪されました。

この高潔な神の人は、その生涯を中国と南太平洋ですごし、失われた魂を探して、勝ち取ることに捧げました!彼は、病気がちで、糖尿病という障害を抱えながらも、いつも地図を開いては、もっとも困難な場所に敢えて向かいました。彼は、貧しく惨めな人たちを探しては、その中で生活し、いつも神に、『私の民を解放してください』と祈っていました。

2021年7月21日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月21日: あなたの電話はお話し中ですか?

7月21日: あなたの電話はお話し中ですか?

私は、「だれを遣わそう。・・・・」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)

福音の招きは誰にでも、無料で提供されていますが、多くの人は自分のことで手一杯で、聞くことも心に留めることもしません。彼らは、神からの呼びかけが何かを決める理由となることを受け入れません。その結果、自分は神からの呼びかけなど一度も聞かなかったと言いながら、生涯を終えることになります。

答えは明白です。神はずっと彼らに連絡を取ろうとしてきたのに、この世のものを追い求めることに夢中で、彼らの回線はいつもふさがっているのです。

私たちを取り巻く世界は、アブラハムをカルデヤ人のウルに留めおいたものと同じ拘束衣を、私たちにも着せようとしています。

2021年7月19日月曜日

スポルジョン『信仰の小切手帳』 7月19日:じょうぶな靴

『あなたの靴(かんぬき)が、鉄と青銅であり、あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。』申命記33:25

ここには、巡礼者のために備えられたものが二つあります。靴と力です。

靴について言えば、荒れた道を旅して、危険な敵を踏みつけるために絶対に必要なものです。裸足では進めません――それは、王家の血筋を引く王子にはふさわしくないことです。私たちが履く靴は、ありきたりのものではなく、どれだけ長く困難な旅路であっても擦り切れない、丈夫な金属の靴底を持つものでなければなりません。私たちには、困難な道中と戦いに応じた守りが与えられます。

ですから、私たちは、蛇を踏んでも、あるいは、竜に足をかけても、傷を負うことを恐れず、大胆に進もうではありませんか。

2021年7月18日日曜日

スポルジョン『信仰の小切手帳』7月18日:荒野の交わり

7月18日:荒野の交わり

『それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。』ホセア2:14

神は、その高潔さのゆえに、私たちが罪に惑わされているのを見ると、愛という、より力強い誘惑を与えようとされます。私たちのたましいを愛するお方が、まず私たちの心を捕らえて、この世の魅惑から目を引き離したときのことを憶えていないでしょうか?主は、悪のわなに捕らわれそうになっている私たちを見れば、これを何度でも繰り返してくださいます。

2021年7月15日木曜日

A・B・シンプソン【天が地をおおう日々】 7月15日

私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。(雅歌6:3)

私が主のものであれば、主は私のものです。キリストが私を得ているなら、私もキリストを得ています。ですから、信仰の手をいっぱいに広げ、受け継ぐべきものをすべて求め、備えられたものを使い始めなければなりません。私たちは、この一瞬一瞬、主を、私たちの恵みと力、信仰と愛、勝利とよろこび、すべてのすべてとして受けることが許されています。そして、こうして主を求めるなら、その恵みが私たちに十分であることを知り、すべてを捧げることは、すべてを受けることに等しいことを学び始めます。そう、聖別とは、自分の惨めな人生の代わりに、主を完全に得ることです。そこには、二つの面があります。聖別には二つの人物がいます。その一人は愛する主ご自身です。『わたしは、彼らのために』と、主は言われます、『わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。』私たちが、自分を主に向けて聖め別つとき、主もご自身を私たちに向けて聖め別ちます。そして、その後は、主のいのちと愛と永遠の力のすべてが、私たちの聖別を守り完成させるために、そして、聖別された人生を最大限に用い、活用するために与えられます。こんな救い主に自分を捧げようとしない人がいるでしょうか?もちろん、私たちは今日、はじめに自分を捧げ、それから、これから来る一瞬一瞬が、満たされ用いられるようにと、主に捧げます。

天が地をおおう日々――聖書のみ言葉と生きた真実の365日.アルバート・B・シンプソン

Days of Heaven Upon Earth - A Year Book of Scripture Texts And Living Truths. By Rev. A. B. Simpson

2021年7月14日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月15日―悔い改めは稀である

7月15日―悔い改めは稀である

ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ルカ15:10)

人間は、悪魔に騙され、また、自分の誇りや能力に惑わされているために、この世界が神の宇宙の中で反逆者が住まう場所であることを否定します。そのような人間たちは、この社会が自分から、神の支配を離れ、神の領域から抜け出したことを認めようとしないのです。

それどころか、彼らは、男も女も神の創造物であることを否定します。自分たちには、創造主である神に尽くす義務があることすら否定するのです。

2021年7月13日火曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月13日―つり合いが取れていない

7月13日―つり合いが取れていない

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。(ヨハネ8:31)

この時代の福音キリスト教会では、ほとんどの人がキリスト者の生涯について偏った見方をしていることを認めなければなりません――はじめに信仰を持つと言う行為に、全てかかっているかのように考えられています。すなわち、ある時点で、キリストを信じるという決断をすると、その後は全てが、『勝手に』に進んでいくというのです。

これは、私たちが福音を伝える中で、聖書の言葉を重んじてこなかったことに起因しています。

2021年7月11日日曜日

スポルジョン『信仰の小切手帳』 7月11日:神から離れない

『また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』ヨハネ11:26

はい、主よ、私たちは、決して死ぬことがないことを信じます。魂が肉体から離れることはあり、それは、ある意味の死ではありますが、私たちの魂が神から離れることはありません。それは、本当の死――罪に脅かされた死――起こり得る最悪の出来事である罰としての死です。

私たちは、それを何よりも確かなこととして信じており、主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことは、誰にもできません。私たちはキリストのみ体の各部分です、キリストがご自身の体の一部を失うことがあるでしょうか?私たちは、イエス様と結婚しており、主と死別して、やもめとなることがあるでしょうか?あり得ないことです。私たちの内には、神から切り離すことのできないいのちがあります。そう、聖霊が中に宿っているのに、どうして私たちが死ぬことがあるでしょう?イエス様ご自身が私たちのいのちであり、主が再び死ぬことはないのですから、私たちも死ぬということがありません。主にあって、私たちは一度、罪に死んだのであり、死刑の判決を二度は執行できないのです。

2021年7月10日土曜日

A・B・シンプソン【天が地をおおう日々】7月10日

それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。(第一コリント2:12)

福音のもっとも大きな祝福も、もっとも小さな祝福と同じく、価なしに与えられるのです。主に十年、仕えたあとでも、ふんぞり返って、『私は、これまで積んできた自分の経験に頼って生きよう』などとは言えません。よく、こんなふうに言う人がいます、『今、私は救われていることを知っているし、それを感じている。』ここで、私たちは、誤った土台を築こうとしています――自分自身の中の何かを土台にしているのです。恵みとは、受けるのにふさわしくないのに、価なしに与えられるものであると、常に捉えてください。この長く、深く、限りのない川は、無料なんです。河口でも、小さな流れでも同じように無料であり、どこまでさかのぼっても無料で、その尽きることのない水を、誰でも来て飲むことができるし、浴びることができます。

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月10日

あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。【ヘブル12:17】

平均的なキリスト者は、ある真実について聞いたら、その真理は自分のものになったと考えます。霊性は、学問とは違います。学問では、教科書を読んで、いくつかの事柄を暗記すれば、その科目を習得したことになります。

しかし、霊的な問題は、そうではありません。

耳で聞いたことばが、あなたの霊的な性質の一部分となるような輝きを与えることができるのは、聖霊だけです。真実が私たちの一部分となるように、私たちの心を開こうと、聖霊は望んでいます。

2021年7月3日土曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】7月3日

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。【第一ペテロ2:23】

私は心の中でうんざりしています。自分自身のこと、友人たちのこと、また、今日の聖書者たちのことで嫌気が差しているのです。あまりに、自分を中心としたものになっていながら、私たちは、神を讃えることを声高に語り、自慢げに、『これこそ神の栄光だ』などと言っています。

自分が中心になっていることは、どうしたら分かるでしょうか?