2021年5月30日日曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月31日

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。【ヘブル4:16】

神の購いは、慎重に練られ、考え抜かれた大昔からの計画に沿って、キリスト・イエスの中に実現されました。

恵みは、キリストが飼い葉桶で生まれたとき、洗礼を受けたときや聖霊を注がれたときに、もたらされたのではありません。主が十字架で死んだとき、死者の中からよみがえったときやみ父の右の座についたときに生じたものでもありません。

2021年5月27日木曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月27日

あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。【出エジプト記15:13】

旧約聖書には、哀れみについての記載が、新訳聖書の四倍もあります。一方、奇妙で驚くべきことに、新約聖書では、旧約に比べて、恵みについて、三倍以上もふれられています。

律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したと書かれています(ヨハネ1:17を参照)。キリストは、恵みが流れ出る祝福された管ですが、その意味が誤解されることがあります。残念ながら、非常に多くの人が誤解しています。

よい信仰を持った人たちでさえ、ここを誤解しやすいのです。多くの人々が、これを、モーセは律法しか知らず、キリストは恵みしか知らなかったと言う意味に捉えています。私たちの父たちはそのように教えていないし、清教徒の書物、ジョン・カルビンや有名な信仰復興論者、改革者たちの著作にも、そんなことは書かれていません。

2021年5月25日火曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月25日

主ご自身がこう言われるのです。わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。【ヘブル13:5】

世の中には、心を慰め、気持ちを和らげるための心理療法や治療がいろいろとあります。辛い思いをしている人を慰めようと試みることは何も悪くありませんが、それが行き過ぎることがあるのです。

私は、人間の立場から慰められたいとは思いません。心の中にある、不義を誰にも軽々しく扱って欲しくないのです。神の前に自分が砕かれるままにすれば、その砕かれた残骸から、神の力と臨在が生まれます。神の臨在こそ、私が日々、切望するものです。

自分を神のみ前に投げ出すその恐ろしい時間、家族も友人も私を助けることはできません。創造されたのではない存在が私のむき出しの霊に迫るとき、人からの助けは何の役にも立ちません。

2021年5月21日金曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月21日

それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。【エゼキエル14:6】

私が、自分では乗り越えられないもの、頭を垂れて、日々、ざんげの祈りを捧げるものとは、私自身の不義です。

私は、自分が生まれ変わったことは知っています。自分が天国に向かっていることも知っています。イエス・キリストが、私の多くの罪のために十字架で死なれたことも知っています。

私の心の奥深く、自分の不義に苛立つ気持ちがあります。この聖なるお方をよりよく知るほど、私の不義は恐ろしいものになってゆきます。私が自分自身を、神が見るように見つめ、そして、主の目、その聖なる目を通して私自分を見始めるとき、私は、自分の不義を、神が感じているのと同じように感じるようになります。

2021年5月20日木曜日

A・B・シンプソン【天が地をおおう日々】5月21日

わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:23).

聖書は、キリストについて、いつもふたつの大きな約束を掲げてきました。第一に、わたしはあなたのところ来る。そして、第二に、わたしはあなたがたのあいだに来る。四千年間に渡って、世界はひとつ目の約束が実現されることを待ち望んできました。ふたつ目は、『多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた』と、パウロが言った奥義で、この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。これはキリストの受肉と同じくらい大きな神の啓示であり、あなたをキリストのように、キリストと同じく罪のないものとしてくれます。キリストがあなた方の中にいたら、何が起こるでしょう?実に、主はあなた自身を完全に取り去ってくれるのです。あなたの中の『自分』は消えてなくなります。あなたは、『私ではなく、キリスト』と言うようになります。キリストがあなたの戦いを引き受けてくれます。キリストが、あなたの中で純粋さ、恵み、力となります。自分で獲得しようとする必要はなく、主にあって、それらを手に入れたことを知るのです。それは、主とともにある輝かしい休息です。イエス様は、『さあ、わたしたちは実を結ばなければならない。たくさん祈らなければならない。あれや、これをしなくてはならない』とは言いません。私たちが主の中にとどまらなければならないという以外に、何の制限もありません。これがすべてのよろこびと助けの中心です。

天が地をおおう日々――聖書のみ言葉と生きた真実の365日.アルバート・B・シンプソン

Days of Heaven Upon Earth - A Year Book of Scripture Texts And Living Truths. By Rev. A. B. Simpson