2021年5月30日日曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月31日

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。【ヘブル4:16】

神の購いは、慎重に練られ、考え抜かれた大昔からの計画に沿って、キリスト・イエスの中に実現されました。

恵みは、キリストが飼い葉桶で生まれたとき、洗礼を受けたときや聖霊を注がれたときに、もたらされたのではありません。主が十字架で死んだとき、死者の中からよみがえったときやみ父の右の座についたときに生じたものでもありません。

恵みは、太古の昔から、イエス・キリスト、永遠の御子を通してもたらされ、ゴルゴタの十字架で現されました。それは世界の始まりから、常に働いていたのです。

恵みの中で働いていなかったら、神はとうに人類を掃き捨てていたし、アダムとエバにも、二人が行ったことの報いとして、恐ろしい裁きを下し、ご自身のかかとで踏み潰していたでしょう。神は、恵みの神であり、また、既に永遠の計画を持っていたので、神の小羊が世界が形作られる前に殺されていたのです。ご自身の計画を実行する上で、神がひるむことは一度もありませんでした。神が、少し後戻りして、『申し訳ないが、ここでしくじってしまった』などと言うことはなかったのです。神はただ、ご自身の贖いの計画を続けられました。

ああ、驚くべき愛!血を流して死ぬとは、
十字架と恥辱を背負うとは、
私のような汚れた罪人が、
恵みの御名を求めることができるように!
ジョン・ニュートン(1725~1807)

尊い主イエス様、あなたの前に頭をたれて、私の贖いを成してくれた恵みを感謝します。御名が讃えられますように。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for every day
A.W. Tozer

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