2021年5月25日火曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】5月25日

主ご自身がこう言われるのです。わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。【ヘブル13:5】

世の中には、心を慰め、気持ちを和らげるための心理療法や治療がいろいろとあります。辛い思いをしている人を慰めようと試みることは何も悪くありませんが、それが行き過ぎることがあるのです。

私は、人間の立場から慰められたいとは思いません。心の中にある、不義を誰にも軽々しく扱って欲しくないのです。神の前に自分が砕かれるままにすれば、その砕かれた残骸から、神の力と臨在が生まれます。神の臨在こそ、私が日々、切望するものです。

自分を神のみ前に投げ出すその恐ろしい時間、家族も友人も私を助けることはできません。創造されたのではない存在が私のむき出しの霊に迫るとき、人からの助けは何の役にも立ちません。

道はひとつしかなく、それは、供え物の犠牲と、神の助け手を通る道です。それを軽く考えてはいけません。かつての改心とは、すべてを変えるもの、過激で驚異的なもの、恐ろしくも輝かしいものだったのです。そのような改心は、あまり残っていません。私たちは、神が聖なるお方であることを忘れてしまっています。

私の生活に臨在する神が、いずれ来る恐ろしい日のために、私を整えています。今、私の霊に入り込んで、その日のために私の備えをしているのは、神の臨在です。

私の心は、どれだけよろこんだでしょう、
友が、心を込めてこう言うのを聞いて、
『シオンの山に、私たちは現れよう、
そして厳粛な日を保とう!』
アイザック・ワッツ(1674~1748)

私はよろこびます、ああ、神よ、この神秘的な存在が、天のみ国で神のみもとに出るために、私を整えてくれていることを。日々、私の心は、その輝かしい日を待ち焦がれています。神の子羊のためにハレルヤ!アーメン

My Daily Pursuit, Devotions for every day
A.W. Tozer

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