2022年12月16日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第30回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第三十回会合―『天の支配は悪と善、種の入ったパンと入らないパンを分ける』
Meeting 30 - The Rule of Heaven will Divide Between the Evil and the Good, Between the Leaven and the Unleavened Bread

2022年11月24日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第29回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十九回会合―『あらゆるかたちの律法主義から真に解放される唯一の方法はキリストを知ること』
Meeting 29 - The Only True Emancipation from all Forms of Legalism is to See Christ

第二十九回例会

2022年11月11日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第28回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十八回会合―『律法制度と霊的な生活を明確に分けるしるしはイエス・キリストの直接的な啓示である』
Meeting 28 - The Great Distinguishing Mark Between a Legal System and a Spiritual Life is by Direct Revelation of Jesus Christ

第二十八回例会
(1964年2月26日午前)

引用箇所:ガラテヤ書
昨日の朝は一時間以上かけて、多くのことをお話ししたので、その全体をここで振り返ることはとても無理です。ただ、今、私たちが心を向けている大きな問題は何だったか、それだけを思い出していただきたいと思います。それは、キリスト教の歴史の中でもっとも重要な問題のひとつであったと述べました。それは、『真のキリスト教とは何か?』という問題にほかなりません。言い換えれば、『イエス・キリストが世に入られたとき、一緒に入り込んできたものは何だったのか?』ということです。この問いをめぐって、使徒たちの時代には壮絶な戦いが繰り広げられ、その問いの性質上、この戦いは今も続いています!使徒の時代には、この戦いは奇妙なかたちをとっており、ユダヤ教かキリスト教かという争いでした。後の時代には、ユダヤ教とキリスト教という問題ではなくなりました。しかし、それからずっと、そして今日も、原則的には同じことが続いています。その問いかけとは、『キリスト教は律法制度なのか、それとも、天から来た霊的な運動なのか』というものです。

2022年9月21日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第27回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十七回会合―『キリスト教は地上の律法制度か、それとも、天からの霊的な運動か?』
Meeting 27 - Is Christianity a Legal System on the Earth, or is it a Spiritual Movement From Heaven?

第二十七回例会
(1964年2月25日午前)

この朝の例会で、キリスト者としての生活の中でもっとも重要な事柄について考えるために、私たちは主の助けを求めています。新約聖書は、いくつかの書物からなっています。その中に、キリスト教にとって、これまでに起こったおそらくはもっとも重要な問題に、非常に大きな関りを持つ書物がひとつあります。聖書全体の中では、それほど長いものではありません。どちらかというと、短めの書物ですが、しかし、その小さな空間に、著者はまさしくキリスト教の真髄を詰め込みました。彼は、この大きな問題を解決したいという強い決意をもって筆をとり、この文書を書きあげました。彼は、キリスト教の本質を、この短い書に凝縮しました。この使徒が、これほど大きな重要性と必要性を感じながら、何かを書いたことはそれまでなかったと、私は思います。この手紙からは、この特別な問題に対する著者の情熱があふれ出ています。ある大きな疑問が生じました。その疑問は、キリスト教の本質を破壊しかねないものでした。その疑問とは――イエス・キリストの来臨によってこの世界に入ってきたものとは何か?イエス・キリストがこの世に来られたことで、神が歴史の中に入り込んだのであり、歴史の中に入り込まれた神が、すべてに対して巨大な変化をもたらしたのです。ここに大きな疑問が生じました――イエス・キリストとともに、この世に入ってきたものとは何なのか?それは、古い制度に何かを加えて継続させただけなのでしょうか?古いユダヤ教の制度を基本として形成された律法制度なのでしょうか?言い換えれば、それはユダヤ教に何かを加えて継続させただけなのでしょうか?それとも、天から来たまったく新しく、生きた、霊的な運動なのでしょうか?ユダヤ教という古い衣の数か所に、新しいつぎを当てただけなのでしょうか?それとも、まったく新しい衣に変わるのでしょうか?ユダヤ教の古いぶどう酒の皮入れに、新しいぶどう酒を入れただけなのでしょうか?それとも、まったく新しい皮のぶどう酒入れなのでしょうか?これが大きな疑問でした。

2022年8月28日日曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第26回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十六回会合―『あなたはキリストとともによみがえった人ですか?』
Meeting 26 - Are You Risen-Ones With Christ?

第二十六回例会
(1964年2月23日午後)

コロサイ人への手紙、3章1節から4節を開いてください。『もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら。』私たちの聖書では、このように訳されています。しかし、本来、これは質問の形になっているべきなんです。その質問とはこうです、あなたがたは、キリストとともによみがえったのですか?あなたがたは、本当にキリストとともによみがえらされたのですか?キリストが死んだとき、私たちは皆、キリストにあって死んだと、この使徒は言っています。神の前に、主イエス様の死にあって、すべての人が死んだのです。そして、神の前に、本当に生きているのは、キリストとともによみがえった人だけです。主イエス様の生涯に起こったことを、人間たちも経験しなければなりません。イエス様が死に、よみがえったことは歴史的事実です。これは歴史です。イエス様の生涯に起こった歴史的事実が、信者たちにとっても、個人的経験とならなければなりません。この使徒の言い方の変化に注意してください。彼は死については、何も問いかけていません。それを事実として述べているだけです。彼はただ、『あなたがたはすでに死んでいる』と言っています。しかし、もう一つの点、よみがえりについては、次のように問いかけています、『あなたがたは、キリストとともによみがえらされたのですか?神の前に、あなたは確かにキリストの死によって死にましたが、キリストの復活のなかで、あなたも確かによみがえったのですか?』

2022年8月18日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第25回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十五回会合―『権力によらず、能力によらず、武力によらず、わたしの霊によってと万軍の主は仰せられる』
Meeting 25 - "Not by Might, Not by an Army, Not by Power, But by My Spirit, Saith the Lord of Hosts"

第二十五回例会
(1964年2月23日午前)

引用聖句:ゼカリヤ書4章
この章の全体がある一節を中心としているのですが、それは第6節です。『すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。』今朝は、この章の背景にある歴史的事実について、時間をかけてお話しするつもりはありません。私がやりたいと思っているのは、この章に現れる霊的な象徴を探ることであり、それは、ここにある霊的な状況は、神の民の歴史の中で、たびたび起こってきたものだからです。ここにある出来事はイスラエルの歴史の中で、一度だけ起こったことですが、同じ霊的な状況は教会の歴史の中で何度となく繰り返されてきました。この話しの霊的な特徴は、次のようなものです。すなわち、主に関わるすべてが大きな挫折の苦しみを味わいました。主の家、主の場所が繰り返しひどい打撃を受け、大きな損害をこうむりました。その経験のため、主の民の多くが背を向けて去って行きました。彼らは、主のための働きをそれ以上、続けることをあきらめてしまいました。彼らは、信仰も希望も捨てました。大多数の人は、「全てはあまりに困難だ」と言って、世にとどまる方が安楽であると決めつけてしまいました。

2022年7月16日土曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第24回会合

 T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十四回会合―『聖霊は、神が持つすべてに対する力強い欲求を私たちの内に生み出す』
Meeting 24 - The Holy Spirit Creates In Us Tremendously Strong Desire For Everything God Has

第二十四回会合
(1964年2月22日午後)

今夜は、先週の土曜日の夜(第十九回会合)に終わったところから続けてお話します。あの時、読んでいた箇所をもう一度、開いてください。ヨハネの福音書、16章7節、『しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。』13節、『しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。』14章に戻って、16節、『わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。』そして、17節、『その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。』そして、使徒の働き、第19章2節、『信じたとき、聖霊を受けましたか。』

2022年7月14日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第23回会合

T・オースティン・スパークス

『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

会合23 — 『キリスト教には、多くの混じり物がある』
Meeting 23 - Within Christianity There is Great Mixture

第23回会合
(1964年2月20日午後)

マタイの福音書に戻り、今夜は、マタイ13章の31節と32節に絞って考えることにします。『イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。』この章に語られている話には、二つの名前があることにご注意ください。ひとつの名は、『天の御国のたとえ』です。イエス様は、それを『天の御国の奥義』と呼びました。たとえ話、奥義、どちらの名で呼ぼうと、そのことばに隠された意味は同じです。それは、人間の当たり前の心では理解できないほど、深い意味を持った何かが、そこに語られているということです。誰にでも、聞いたことばの中から何かを読み取ることはできるし、自分はすべてを理解していると思うかもしれません。しかし、たとえ話や奥義として語られたことを読んでも、その真意を理解していないこともあり得ます。大切なのは何を読むかではなく、そこから何を理解するかです。イエス様が言おうとしていることを聞くために、大ぜいの群集が集まったと、私たちは聞いています。この大ぜいの群集は、主の語ったことを聞き、その話をよそへ行って話したのですが、そこに込められた真意は伝えませんでした。それを聞いた者の中で、本当の意味を理解したのは、ごく僅かでした。このことを憶えておかなければいけないのは、これが、私たちが何かを伝えようとするとき、どこまでもついて回る、逃れられない問題だからです。

2022年7月13日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第2巻目次

『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』
T・オースティン・スパークス
フィリピン、マニラ、1964年

『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』第2巻
T・オースティン・スパークス
第23~42回会合
フィリピン、マニラ、1964年

『すると彼は、私に答えてこう言った。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。』ゼカリヤ4:6

目次

手紙(T・オースティン・スパークス)
会合23 - Within Christianity There is Great Mixture
会合24 - The Holy Spirit Creates In Us Tremendously Strong Desire For Everything God Has
会合25 - "Not by Might, Not by an Army, Not by Power, But by My Spirit, Saith the Lord of Hosts"
会合26 - Are You Risen-Ones With Christ?
会合27 - Is Christianity a Legal System on the Earth, or is it a Spiritual Movement From Heaven?
会合28 - The Great Distinguishing Mark Between a Legal System and a Spiritual Life is by Direct Revelation of Jesus Christ
会合29 - The Only True Emancipation from all Forms of Legalism is to See Christ
会合30 - The Rule of Heaven will Divide Between the Evil and the Good, Between the Leaven and the Unleavened Bread
会合31 - The Holy Spirit Came Especially for the Purpose of Creating a Spiritual Order of Things
会合32 - The Matter Which is of Supreme Importance is: "Christ Fully Formed In You"
会合33 - "A Sword Shall Pierce Through Thy Own Soul"
会合34 - The Presence of the Lord is Power! The Presence of the Lord is Life! The Presence of the Lord is Holiness!
会合35 - John Set Out to Confirm the Faith of Believers in a Difficult Day
会合36 - Jesus, as the Light, Brings to Light the Works of the Devil in Order to Destroy Them
会合37 - What is True in the Lord Jesus Has Got to be True in Us

会合38 - Life is the Basis of Everything 会合39 - The Law of the True Manifestation of Christ is the Law of Death and Resurrection Union with Christ 会合40 - The Cup of the Lord
会合41 - Prayer is the Basis of Everything in our Life with the Lord
会合42 - "For the Sake of His Name"


2022年7月12日火曜日

【Daily Open Windows】5月1日

五月一日

農夫は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、まぐわでならしてばかりいるだろうか。(イザヤ二十八・二十四)

もちろん常識的に答えれば、農夫がそんなことをするはずはありませんね。土地を耕し始めた農夫が、一年中、耕し続けるだけで、他には何もせず、ひたすら掘り返しては、その土をならすだけだったら、頭がおかしいということになります。この農夫は、いつまでもこんなことを続けるでしょうか?これが必要な仕事であることは確かです――鍬を入れ、土を起こし、日光にさらし、耕すこと――これは間違いなく不可欠な作業ではありますが、それだけをいつまでも際限なく続けるようなものではありません。主は、自分の人生には鋤と鍬で耕すことしかないと感じている忠実な人々に向かって語りかけ、彼らの働きの本当の意味を教えています。彼らのたましいには、深い溝が刻まれているのです。この彼らのたましいと言う土地に、くわが入り、かき回され、掘り起こされ、むき出しにされ、崩され、ならされています。主は、忠実な人々に対してさえ、『これは必要なことだ』と言われます。パンのための麦は打たれます。パンの価値、食べ物の価値について考えてみると、神の民のパンや食べ物となる人ほど、主によって非常に厳しい扱いを受けるようになります。もし、主があなたにそのような扱いをしている、すなわち、主があなたを砕き、竿で打ち、すりつぶしていると感じるなら、それは希望のしるしです。主は、あなたの人生から、他の人のために大きな価値のある何ごとかを引き出そうとしています。

2022年6月17日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第22回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十二回会合―『大祭司の祈り―父よ、すべての家族がわたしとともに、そこにいられますように』
Meeting 22 - The Prayer of Our High Priest: Father, I Want My Whole Family to be There With Me

第二十二回例会
(1964年2月18日 午後)

引用聖句:ヨハネ17章
新約聖書には、主イエス様が弟子たちに与えた祈りがもう一つあります。その祈りは一般に主の祈りと呼ばれているものです。『天にいます私たちの父よ』という言葉で始まる祈りを皆さんも覚えているでしょう。しかし、この祈りは主の祈りではなかったのです。この祈りは、主の祈りではあり得ません。主が弟子たちにこの祈りを与えたのは、彼らが祈る筋道を示すためでした。それを主の祈りと呼ぶのは正しくありません。主イエス様が、御父に向かって、『私たちの負いめをお赦しください』と言うことはありません。主には、赦しを求める必要などないからです。そうなれば、主が罪人であったことになります。そして、主の中に、罪はありません。真の主の祈りは、私たちが今、読んだものです。ヨハネの福音書、十七章こそ本当の主の祈りです。ここで、主の祈りから、私たちがどのように祈るべきかということを学ぶことができます。ですから、この祈りを通して、主に従うことにしましょう。

2022年6月4日土曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第21回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十一回会合―『主の前に砕かれてこそ、真の礼拝』
Meeting 21 - It is Real Worship to be Broken Before the Lord

第二十一回会合
(1964年2月16日午後)

主の聖餐について、もう一度、簡単にお話ししたいと思います。三つの聖句をお読みします。

『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」』(第一コリント11・23~25)

2022年5月9日月曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第20回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十回会合―『ただ、この一事に励んでいます』
Meeting 20 - "This One Thing I Do"

第二十回会合
(1964年2月16日午前)

神の御言葉の中から、いくつかをお読みします:

『ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。』(使徒行伝22・6~11)

2022年4月16日土曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第19回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十九回会合―『聖霊を受けることの絶対的な必要』
Meeting 19 - The Absolute Necessity of Our Receiving the Holy Spirit

第十九回会合
(1964年2月15日午後)

神の御言葉から、ご一緒に二、三箇所を読みたいと思います:
『わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。』(ヨハネ16・12、13)

2022年4月3日日曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第18回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十八回会合―『主イエス様の臨在によって、不可能な状況が輝かしい可能性に変えられた』
Meeting 18 - An Impossible Situation was Turned into a Glorious Possibility by the Presence of the Lord Jesus

第十八回会合
(1964年2月14日午後)

さて、今夜ここに来られたことを、とてもうれしく思いますし、私たちを招待してくれた愛する友人の皆さまに感謝いたします。そして、今、聞いたことは、これから皆さんにお話しすることの非常に良い前置きとなっています。

今日のこの祝宴について、また、皆さんへの挨拶の言葉について考えている中で、新約聖書にある三つの祝宴のことが心に浮かんできました。そして、その三つとも、背後にはとても考えられないくらい困難な状況がありました。どの場合も、普通ではありえないほど不可能な状態でした。しかし、三つの祝宴のいずれにおいても、中心人物は主イエス様でした。そして、主が中心にいたからこそ、不可能が可能になったのです。絶対的に不可能な状況から、現実的なものへと変えられたのです。皆さんは、私がどの祝宴のことを語っているのかと思っているかもしれません。

2022年3月24日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第17回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十七回会合―『ふたつの種のたとえ』
Meeting 17 - The Parable of the Two Seeds

第十七回会合
(1964年2月13日午後)

引用箇所:マタイ13章24~30節。
私は、自分が主によって、このふたつの御国のたとえ話へと再び導かれたことは間違いないと感じています。ですから、私は主に語るように命じられたことだけをお伝えします。マタイ13章のこの七つのたとえ話は預言です。主イエス様は、ご自身の初臨から再臨までのあいだのこの時代に起こることを予告されたのです。これらのたとえ話が最後には必ず、「今の世の終わり」のはなしで終わっていることにお気づきでしょう。主は、ご自身の再臨まで続くこの時代に、ある事態と状況が起こることをご存じでした。これから起ころうとしているその状況は、主のしもべたちを大いに当惑させ、苦しめることでしょう。そのため、これらのたとえ話を用いて、主は二つのことをされました。

2022年3月10日木曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第16回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十六回会合―『無償で得た物を主にささげることはできない』
Meeting 16 - "I Will Not Offer Unto the Lord That Which Cost Me Nothing"

第十六回会合
(1964年2月11日午後)

引用箇所:第一歴代誌21章1節、7~30節。
このオルナンの麦打ち場が、後に大神殿の敷地となったことは、皆さんもご存じだと思います。ここは、ソロモンによって大神殿が建てられた場所です。そして、祭壇がこの麦打ち場に置かれたことは、神の家がギベオンからエルサレムへ移ったことを告げるものです。神の家が麦打ち場の跡に建てられたというのは、非常に印象的なことです。麦打ち場が何をするところか、皆さんもご存じでしょう。竿を力いっぱい降り下ろして、小麦の穂にたたきつける場所、麦の粒が殻から離されるところです。そして、この麦打ち場で、霊的な意味で同じことが起こったのです。そこは、罪が裁かれる場所でした。神の家について、何よりも大切なこととして、その家は罪が裁かれる土地に建てられたのです。ダビデは、その前に言っています、「私は、大きな罪を犯しました。私はほんとうに愚かなことをしました。」ダビデの罪は、神によって恐ろしい裁きを受けました。そして、神の家の土台は、罪が裁かれた場所に置かれました。これは新約聖書でも同じことが言えます。

2022年3月5日土曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第15回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十五回会合―『神は私たちに型を示された:キリストという型を完全なかたちで示された』
Meeting 15 - God Has Shown Us the Pattern: He Has Shown Us That Pattern Who Is Christ In Perfection

第十五回会合
(1964年2月10日午前)

今日は、これまで続けてきた朝の特別集会の最終回ですので、最初に、これまでにお話してきた基本を振り返って、思い出していただければ、非常に分かりやすくなると思います。私たちは、キリスト教が、その初期の姿から、あまりに肥大してしまった、すなわち、その初めの土台にはなかったものが、そこに付け加えられてきたことから話し始めました。そのため、今日の私たちは、始まりの時とはまったく異なるキリスト教の中にいることになります。今日のキリスト教は非常に複雑なものです。あらゆるところで分派があり、組織があり、当初の単純で基本的な現実に較べて、非常に多くのものに分かれています。そして、私たちが主イエス様の中にあった最初の神聖な働きへと戻れるよう、主に願っていることも話しました。それから、神の言葉が示すように、終わりにはすべてのものが大きく揺り動かされると信じていることも話しました。そして、大きく揺り動かされる中で、真に天から出たもの、真に天から来ているものだけが残されることになります。この土台の上に築かれたものの非常に多くが、消え去ってゆきます。私たちは、このことが神の御言葉に記されていると信じています。

2022年2月2日水曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第14回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十四回会合―『新しいイスラエルの過ぎ越し』
Meeting 14 - The New Israel's Passover

第十四回会合
(1964年2月9日午後)

引用箇所:出エジプト記十二章
今夜は、聖餐式について、少しお話します。これはおそらく、キリスト教の式典の中でも、もっとも広く知られているものです。キリスト教のほとんどすべての宗派で、何らかの形で聖餐式が行われます。もちろん、宗派ごとに、呼び方は異なります。ローマ教会では、彼ら独自の名前で呼ばれています。また、他の団体には、別の名前があります。私たちは、『聖餐式』と呼んでいます。しかし、それぞれに形式は違い、呼び名は違っていても、この式は、ほとんどすべてのキリスト教徒のあいだで行われるものです。あまりにも一般的で、どこででも見られるので、私たちはこの式が意味するものの全容を見失う危険にさらされています。聖餐は、私たちがおそらく毎週、決められた順序に沿って行う様式の一端となっています。そして、そこには、私が言ったように、危険が伴うのです。私たちは、その式が持つ価値のある面は守っています。その式が持つ意味のある面には感謝しています。しかし、私が言ったように、その非常に大きな意味の一端を見失ってしまう危険が、常に付きまとっています。

2022年1月18日火曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第13回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十三回会合―『私たちの生活と奉仕の中に、主は混ぜ物を受け入れない』
Meeting 13 - The Lord Will Never Have Mixture in Our Life or in Our Work For Him

第十三回会合
(1964年2月9日午前)

ヨハネによる福音書の第四章をもう一度、読みます。(そして、読者はこの章を読むことで、大いに得るものがあります)。皆さんには、とくに、この章の二十三節に立ち返っていただきたいと思います。『真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。』

2022年1月7日金曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第12回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第十二回会合―『この御国は、永遠に続く御国である』
Meeting 12 - "This Kingdom is an Everlasting Kingdom

第十二回会合
(1964年2月8日午後)

今回は、今週の一連の講話の最終回になるので、これまで語ってきたことを少し復習しておきましょう。あまり長くはしませんが、昨夜の続きから進めるには十分です。しかし、その前に旧約聖書に戻りたいと思います。ダニエル書をよくご存知の方は、この書の第二章で、バビロンの王、ネブカドネザルの夢について説明されていることを覚えているでしょう。ネブカドネザルは夢の中で、大きな像を見ました。その像は、頭から足まで、体の各部分が異なる材料でできていました。頭は金でできており、体の他の部分は別々の材料でできていて、また、足とつま先は、あるところは鉄、あるところはと粘土で作られていました。