2022年7月12日火曜日

【Daily Open Windows】5月1日

五月一日

農夫は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、まぐわでならしてばかりいるだろうか。(イザヤ二十八・二十四)

もちろん常識的に答えれば、農夫がそんなことをするはずはありませんね。土地を耕し始めた農夫が、一年中、耕し続けるだけで、他には何もせず、ひたすら掘り返しては、その土をならすだけだったら、頭がおかしいということになります。この農夫は、いつまでもこんなことを続けるでしょうか?これが必要な仕事であることは確かです――鍬を入れ、土を起こし、日光にさらし、耕すこと――これは間違いなく不可欠な作業ではありますが、それだけをいつまでも際限なく続けるようなものではありません。主は、自分の人生には鋤と鍬で耕すことしかないと感じている忠実な人々に向かって語りかけ、彼らの働きの本当の意味を教えています。彼らのたましいには、深い溝が刻まれているのです。この彼らのたましいと言う土地に、くわが入り、かき回され、掘り起こされ、むき出しにされ、崩され、ならされています。主は、忠実な人々に対してさえ、『これは必要なことだ』と言われます。パンのための麦は打たれます。パンの価値、食べ物の価値について考えてみると、神の民のパンや食べ物となる人ほど、主によって非常に厳しい扱いを受けるようになります。もし、主があなたにそのような扱いをしている、すなわち、主があなたを砕き、竿で打ち、すりつぶしていると感じるなら、それは希望のしるしです。主は、あなたの人生から、他の人のために大きな価値のある何ごとかを引き出そうとしています。

皆さん、キリスト教の世界では、主に広く用いられるのは偉大ですばらしいことであると信じられてきましたね。『ああ、なんとすばらしい!ああ、主に大いに用いられるということは!ああ、偉大な伝道者になることは!ああ、偉大な教師であることは!、ああ、りっぱなキリスト教の働き手になることとは!実に大いなることだ!』私は、これが完全に間違った思い込みであるとはっきり指摘しておきます!主に誰よりも真摯に仕える者は、もっとも深い試練の苦しみを味わうと言うのが真実です。・・・・全てのつり合いを本当に保っておられるのは神であり、苦しみが多ければ、それだけ主に用いられるし、苦しみがなければ、主に用いられることもありません。神はこのようにして釣り合いを保たれます。あなたが今は多少なりとも、安楽な時を過ごしているとして、私はそれはいつまでも続かないなどと言って、がっかりさせたいわけではないのですが、もしあなたが本当に主のために、より多く用いられたいと願うなら、それは主の深い鍛錬の中で、はじめて実現することを忘れないでください。そして、あなたが特別に大きな困難を与えられているとしたら、それは、あなたを通して、主がご自身の必要をより完全に満たそうとしていることの表れであると言えるかもしれません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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