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2021年10月6日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】10月6日:宗教の失敗

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。(第二テモテ3:5)

宗教の中では、また、宗教によっては、罪人の必要を十分に満たすことはできないという事実を直視しようとしない人たちが、何百万人といます。

宗教家たちは、驚くほどたくさんのことを、あなたにしたいと望んでいます。幼児洗礼から始まり、あなたが百八歳まで生きた時には、最後の儀式まで取り仕切るのです――そのあいだ、ずっと、あなたを操り、あなたの心を傷つけ、そして、甘い言葉であなたの魂を解きほぐそうとします。それが全て終わった後も、あなたは、結局、もとのあなたのままです。あなたは、飾り付けられ、魂を解きほぐされた罪人――肉を食べなかった罪人とか、魚を食べた罪人――に過ぎないのです。

2021年10月4日月曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】10月4日:「目標を目ざして」

うしろのものを忘れ、・・・目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14)

キリストの信仰者に対し、自分の昔の姿を振り返って、落胆するように仕向けるのは、悪魔が昔からよく使う手口のひとつです。私たちの魂の敵はいつも、神の愛は尽きないことを忘れさせようとします。

神の誠実さに目を向け、自分自身を見つめることをやめて初めて、人は神とともに前進することができるのです!

新約聖書が私たちに教えていることは、つきつめれば、信仰をもって前を向くこと――そして、後ろを振り返ったり、自分の内側を見つめて時間をつぶさないこと――の大切さということになります

2021年9月24日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】9月24日:私たちの日々の問題

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方です。(第一コリント10:13)

キリストの信仰者が、キリスト者として生きることが、人間的な試練や問題に対する保証になると考えているなら、その人は間違った教えを受けていることになります。そのように信じている人は、地上を天国と取り違えており、天上のよりよい世界に至ってはじめて実現する状態を、この地上で求めているのです。

神は聖人と罪人のあいだに何の区別も置かないと、誰もが感じています。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくだいます(マタイ5:45)。不思議なことに、私たちはこの真実の裏側になかなか気づきません――すなわち、神は、どんな人間にも起こる問題を、ご自身を信じる神の子供たちにも、等しく与えられるのです。

2021年9月1日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】 9月1日:神への信頼

愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができます。(第一ヨハネ3:21)

キリスト者の生活の中で気づく、非常に大切なことのひとつがこれです――私たちは、ご自身を明らかにしてくださった神に、全幅の信頼を置くことができるのです!

キリスト者としての人生が始まったばかりの頃、神は人を裁くために制裁を加えるようなお方ではないことを理解できたのは、私にとって大きな恵みでした。神は、私たちが塵に過ぎないことをご存知であり、私たちの神として、愛と忍耐をお持ちです。

2021年8月27日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月27日:祈らない人たち

この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(第一コリント3:13)

キリスト教において、礼拝者が非常に不足している兆候がいたるところに見られます。

教会の委員会などには、すすんで参加するのに、霊的なよろこびや輝きを求める気持ちがなく、祈り会には全く顔を出さないような人たちがたくさんいます。

祈りもしないし、礼拝もしない人たちが、多くの教会を運営し、教会が進む方向を最終的に決定しているという事実は、私には、いつも、恐ろしく不自然なことに思えます。

2021年8月25日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月25日:サタンの策略

私たちは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。(第二ペテロ1:16)

驚くべきことに、キリストの信者に対するサタンのもっとも巧妙な策略は、私たちの美徳とするところを逆手に取って用いることです!もっと驚くべきことに、この策略は、しばしば大きな成功を収めているのです。

罪の誘惑という手立てを使って、私たちの個人生活を攻撃し、私たちの美徳を通して働くことで、サタンは信者の共同体を攻撃し、自分では守れないようにするのです。

街を攻め取ろうと思えば、敵はまず、その抵抗力を弱め、破壊します。教会は、抵抗しているあいだは、陥落することはありません。それを知っている悪魔は、教会の抵抗を無力化するためにあらゆる策略を用います。

2021年8月20日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月20日:『縮む』クリスチャン

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛し・・・・ました。(エペソ5:1-2)

改宗したばかりの人は、すぐにはじめの熱意を失って、メリハリのない宗教的な日常生活に落ち着くことになるという考えが、キリスト教界の一部では信じられていますが、私たちも同じ考えを受け入れなければならないのでしょうか?私は、聖徒たちの幸福をいつも心で願っているつもりですが、キリスト者たちの中に、『世間並みの信者』という称号を受け入れて満足している人がいることには、心を痛めています。

2021年8月19日木曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月19日:遠くにいる神

わたしは近くにいれば、神なのか。――主の御告げ。――遠くにいれば、神ではないのか。天にも地にも、わたしは満ちているではないか。(エレミア23:23-24)

子供のころ、神の存在についての短い歌にあった『星空の彼方、遠く』という歌詞をよく覚えています。

そこは、人間が神を置いた場所です。神は、星空の向こうのどこか、遠いところにいることになったのです。

この世に生きる人間として、私たちは神の存在を自分に理解できる空間の観点から考えがちです。私たちは、光年とかメートル、マイル、尋(水深)などの単位で考えます。私たちは、神がどこかの場所に住んでいると考えます――違います!神は、ある人々が考えているように、天と地のあるところにいつも住んでいるのではありません。

2021年8月15日日曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月15日:来るべき祝福の日

8月15日:来るべき祝福の日

神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 (第二コリント5:1)

多くの人たちが、天国に行くことについて話していますが、世の宗教が与える希望は、実にはかないものです。

死という出来事の向こうに、祝福された状態を求めることができるという希望は、神の優しさ、そして、イエス・キリストが私たちのために十字架でなされた購いの御業の中にしかあり得ません。

神の深い深い愛は、そこから後の幸福が流れ出る泉であり、キリストにある神の恵みは、その泉から私たちに届く水路です。キリストの十字架は、神と同じ性質が罪人の側にあるという、高潔な状況を作り出します。

2021年8月13日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月13日:私たちはどのように主を知っているか?

8月13日:私たちはどのように主を知っているか?

私は、自分の信じて来た方をよく知っているからです。(第二テモテ1:12)

今日の近代的なキリスト教が置かれた状況をかんがみると、私は問いかけざるを得ません。『自分をクリスチャンと呼ぶ人たちの多くは、本当の体験をしていないのではないか?』

私たちは、心を奪うような出会いの代わりに、神学的な考え方を求めるようになりました。私たちの心は宗教的な考えで満ちていますが、そこにある大きな弱点は、この心を支えてくるものが何もないことです!

他に何があろうとも、真のキリスト者の経験には、常に、神との純粋な出会いが含まれていなければなりません。それがなければ、宗教は、ただの影、現実生活の反映、他の誰かに聞いたよろこびの経験の安っぽい複製に過ぎません。

2021年8月11日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】8月11日:霊的な窒息

8月11日:霊的な窒息

罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ5:20)

人間は、霊的に窒息しやすいものであることを、わかり易く説明してみます。

かつて採掘会社は、かごに入れた生きた鳥を、採掘坑の奥深くまで連れて行って、危険なガスの存在を検知するために使ったそうです。高濃度の有毒ガスがあると、鳥はすぐに檻の底に落ちて死んでしまうのです。

私は、鳥とは、神が作った奇蹟だと思っています――緑の草原からかけ昇り、天井の甘い空気を吸うために造られた翼のついた奇蹟です。しかし、その鳥を、湿って汚染された暗い地下に連れていけば、直ちに窒息して死んでしまうのです!

2021年8月3日火曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】 8月3日:神さま、確信をありがとう

8月3日:神さま、確信をありがとう

良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。(箴言15:23)

現代人は、どこへでも行けるし、好きなことをできるし、宇宙について、何でも知りたいと思うことも許されています。しかし、神を知りたいと思うだけの好奇心を持つ人は、めったにいません。

神が私たちを探し、見つけ、主の招きの声に、『イエス様、みもとに参ります!』と言える者としてくださったことに対して、私たちは十分、感謝しているとは言えません。

私は、自分がまだ17歳だったころ、この何も知らなかった少年の心に、聖霊が静かに働きかけたことを、何度も思い出します。ある隣人がいて――『ホルマンさん』という名前しか知りませんでした――この方が、キリスト教徒であることは聞いていました。

2021年7月24日土曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】 7月24日:両面交通

7月24日:両面交通

するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:24)

この不確実な時代にあって、信仰と不信仰のあいだの往来は、聖書が予告したように、悲劇的なほど混み合っています。しかし、この往来は、不信仰の方向にばかり向かっているのではない――時には逆に進むことを知れば、心も励まされるのではないでしょうか!

時おり、応用心理学と安っぽい詩歌の混合物に胃痛を起こした『進歩的な』人たちが、み父の家に帰る放蕩息子のように、こちらに戻ってくるという明るい知らせを聞くことがあります。確かに、正統派から進歩派への動きは、多くの場合、非常にゆっくりとしたものであり、あまりに遅すぎて気付かないほどです。私は、神との霊的な経験をした結果として現代思想を受け入れた人の例を、一度として聞いたことがありません。

2021年7月23日金曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月23日:高ぶりの現実

7月23日:高ぶりの現実

主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道・・・・を憎む。(箴言8:13)

人間の高ぶりが持つ危険と偏狭さについて、警告させてください。高ぶりは世界のどこにでもあり、自分を太らせるものならほとんどなんでも、飲み込んでしまいます!

これまで出会った人たちの多くは、絶対にへりくだったりしないと決めているために、神と正しい関係を築くことにはならないだろうと、私は確信するようになりました!

高ぶりは、人間が持つ恐ろしい性質であり、これはイエス様の時代だけでなく、現代においても同じです。

2021年7月22日木曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月22日:私たちの神々しい会話

7月22日:私たちの神々しい会話

そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。(マラキ3:16)

魂をキリストへと勝ち取ることに熱心なあまり、神とその恵みのこと以外、何も話そうとしないキリスト者たちに、私は会ってきました。

そのひとりは、初期の開拓伝道者で、カナダ人のロバート・ジャフレイです。彼の一族は、トロント・グローブ・アンド・メール紙の社主だったのですが、若いキリスト者であった彼は、家業に加わるよりも、神の召しに従って中国に向かうことを選んだため、相続権を剥奪されました。

この高潔な神の人は、その生涯を中国と南太平洋ですごし、失われた魂を探して、勝ち取ることに捧げました!彼は、病気がちで、糖尿病という障害を抱えながらも、いつも地図を開いては、もっとも困難な場所に敢えて向かいました。彼は、貧しく惨めな人たちを探しては、その中で生活し、いつも神に、『私の民を解放してください』と祈っていました。

2021年7月21日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月21日: あなたの電話はお話し中ですか?

7月21日: あなたの電話はお話し中ですか?

私は、「だれを遣わそう。・・・・」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)

福音の招きは誰にでも、無料で提供されていますが、多くの人は自分のことで手一杯で、聞くことも心に留めることもしません。彼らは、神からの呼びかけが何かを決める理由となることを受け入れません。その結果、自分は神からの呼びかけなど一度も聞かなかったと言いながら、生涯を終えることになります。

答えは明白です。神はずっと彼らに連絡を取ろうとしてきたのに、この世のものを追い求めることに夢中で、彼らの回線はいつもふさがっているのです。

私たちを取り巻く世界は、アブラハムをカルデヤ人のウルに留めおいたものと同じ拘束衣を、私たちにも着せようとしています。

2021年7月14日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月15日―悔い改めは稀である

7月15日―悔い改めは稀である

ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ルカ15:10)

人間は、悪魔に騙され、また、自分の誇りや能力に惑わされているために、この世界が神の宇宙の中で反逆者が住まう場所であることを否定します。そのような人間たちは、この社会が自分から、神の支配を離れ、神の領域から抜け出したことを認めようとしないのです。

それどころか、彼らは、男も女も神の創造物であることを否定します。自分たちには、創造主である神に尽くす義務があることすら否定するのです。

2021年7月13日火曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月13日―つり合いが取れていない

7月13日―つり合いが取れていない

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。(ヨハネ8:31)

この時代の福音キリスト教会では、ほとんどの人がキリスト者の生涯について偏った見方をしていることを認めなければなりません――はじめに信仰を持つと言う行為に、全てかかっているかのように考えられています。すなわち、ある時点で、キリストを信じるという決断をすると、その後は全てが、『勝手に』に進んでいくというのです。

これは、私たちが福音を伝える中で、聖書の言葉を重んじてこなかったことに起因しています。