キリスト者の生活の中で気づく、非常に大切なことのひとつがこれです――私たちは、ご自身を明らかにしてくださった神に、全幅の信頼を置くことができるのです!
キリスト者としての人生が始まったばかりの頃、神は人を裁くために制裁を加えるようなお方ではないことを理解できたのは、私にとって大きな恵みでした。神は、私たちが塵に過ぎないことをご存知であり、私たちの神として、愛と忍耐をお持ちです。
もしも主が、キリスト者が失敗したり、間違えたり、何か悪いことするたびに、その人を用いるのをやめるようなお方だったら、私などは今頃、置物になっていたでしょう!
裁きが必要なとき、神が裁きを下すことは確かではありますが、聖書には、裁きとは神の異例な働きであるとあります。生涯に渡る反逆、かたくなな不信仰と罪を愛する心があるところに、裁きは行われます。
しかし、神は、私たちが霊的に成長し、成熟するように見守ってくださる中で、ご自身に完全に信頼すること、また、自分自身を全く信用しない境地に到達することの大切さを教えてくれます。神に出会った私たちは、パウロとともに、『この測り知れない力は神のものであって、私たちから出たものでない』(第二コリント4:7)と言えるようになったのです。
主よ、この世界に、『確かな』ものは多くはありません。しかし、主であるあなたは、百パーセント変わらないお方です。私たちに向けたあなたの愛は揺るぎないものです。あなたの忍耐は消えることがありません。主よ、あなたをほめ讃えます。
『トウザーの朝ごとの祈り』
Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer
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