キリストの信仰者が、キリスト者として生きることが、人間的な試練や問題に対する保証になると考えているなら、その人は間違った教えを受けていることになります。そのように信じている人は、地上を天国と取り違えており、天上のよりよい世界に至ってはじめて実現する状態を、この地上で求めているのです。
神は聖人と罪人のあいだに何の区別も置かないと、誰もが感じています。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくだいます(マタイ5:45)。不思議なことに、私たちはこの真実の裏側になかなか気づきません――すなわち、神は、どんな人間にも起こる問題を、ご自身を信じる神の子供たちにも、等しく与えられるのです。
自分で問題を取り除くことができないなら、つぶやくのではなく、その問題に耐えられる恵みを求めて祈らなければなりません。私たちは、いろいろな問題に辛抱強く耐えることが、霊的な完成を助けると学んでゆきます。私たちの主、救い主のことを考えてみてください――主は、生まれた瞬間から敵に囲まれていました。この敵こそ、主の地上での全生涯に渡って耐え続けた現実の絶え間ない問題でした。主は、死ぬことで初めてこの問題から逃れたのです!
主よ、私が今日、直面しようとしている問題を乗り越えるためにあなたの力をいただけるよう祈ります。あなたの御霊が、私の生活に『常駐している』助け手であることを感謝いたします。
『トウザーの朝ごとの祈り』
Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer
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