2018年5月26日土曜日

【Daily Open Windows】5月26日

5月26日

彼らは、わたしのものとなる。――万軍の主は仰せられる。――わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。(マラキ3:17)


もし、私たちが、自分自身を徹底的に神に捧げてきて、また、主の完全な御心だけを求めて、自分の思いなど顧みることなく、また、どれだけの犠牲を払おうとも、主が導き、示される道を、主の恵みによって進もうという真摯な気持ちを持ち続けてきたとしたら、そして、本当にこのとおりに生きてきたのに、そこに生じた状況が怖ろしいほど複雑に見えて、神の真実さと相反するようにしか思えないものだったとしたら、わたしはそのことを、どのように考えたらいいのでしょうか?私たちは、どのような結論を導こうとするのでしょうか?次の二つの結論のどちらかを選ぶしかありません――つまり、神は私たちの勤めも献身もまったく心に留めず、どのような困難に巻き込まれても、そのまま捨て置かれる、あるいは、この全てが主の目の下にあるということです。このふたつは、両極端な結論です。私たちには、神を信じるか、あるいは、まったく神を信じないか、その二つしかありません。ここで述べたことの全ては、御言葉の中に示されており、このすべてが、次の事実に、真直ぐにつながっていきます。すなわち、神による予見と、世界を統治する神の行動に関わっている人たちは必ず、このような状況に至ること、しかし、結局は、その統治が、主にとって何よりも大切な事実と結びついていると既に示されていること、そして、『万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、わたしの者となり、わたしの宝となる』(マラキ3:17)ことです。

2018年5月24日木曜日

【Daily Open Windows】5月24日

5月24日

神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル1:1-2)

古いイスラエルにとっての悲劇とは何だったのでしょう?もちろん、古代イスラエルの悲劇とは、最終的には、神の国の務めから外されたことでした。彼らはいわば、任を解かれたのです、『神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。』まさしく、このとおりのことが起こりました!そして、その状態が今も続いています。取り去られた天の御国――イスラエルから取り去られ、他の国民たちに!イスラエルの悲劇とは、彼らが、神の摂理から、あるいは、神の天啓的な活動から、解任されてしまったことです。それが、二千年間続いてきたのです。このあと何年、それが続くのか、私たちは知らないし、おそらく、そう長くはないのでしょうが、そのことは、ひとまず、置いておきましょう。

2018年5月22日火曜日

【Daily Open Windows】5月22日

5月22日

異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされた。(ガラテヤ1:16)

パウロが生きていた時代から、キリスト者たちの活動の非常に多くが、自分たちの活動の拡大、教えの伝達、自分が属する団体の利益の増大に注がれてきました。大切なのは、活動そのものではないし、この地上で何かの活動を立ち上げて、そこに、信者、支持者、会員、援助を集めることでもありません。何かの団体が大切なのではなく、それが教会と呼ばれる団体であっても同じことです。教会は、イエス・キリストの啓示と関わりがなければ、神の御心の中に存在する意味すらなく、教会の意義は、神の愛する御子であるキリストが、その存在によってどれだけ現れているかという、そのはかりに応じて裁かれます。証しというものが、あなたにとって、特定の形式の教え、体系化された教理を意味するのだとしたら、それも大切ではありません。証しとは、決して、そのようなものではないのです。『証し』について話すとき、私たちは、何をもって証しと考えているのか、よく注意しましょう。

2018年5月20日日曜日

【Daily Open Windows】5月20日

5月20日

あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(マタイ16:23)

この節が語っているのは、神の御心に関わることでは、人間の立場とは、総体的に、また、多くのものごとの上に立って、捉えられなければならないということだと思います。私たちは、はっきりした意識を持って、積極的に、この立場に達しなければならず、そして、時には、どんな手を使ってでも、私たちの心を乱し、御心に従おうとする意思を弱め、別のはなしを持ちかけ、いろいろな問題や利害に光を当てては、考えを変えさせようとする敵の策略と出会うことを、心にとめておくことが求められます。私たちは必ず、この攻撃、このつまずき、この妨げにぶつかるし、そのときは、断固とした態度で臨まなければなりません。

2018年5月18日金曜日

【Daily Open Windows】5月18日

5月18日

主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。(イザヤ64:8)

私たちは主の御手の中にあり、そして、御手の内にあることによって、主である陶器師の手の中に置かれているのですが、この陶器師は、はっきりした目標を持って働いています・・・はじめは、器が陶器師の手の中にあるのですが、後には、陶器師がその器の中に入ります。これが意味していることは、陶器師が製作を始める前に、どのような器になるか、きわめて明確に、彼の心の中、彼の思いの中に描かれているということです。その形態は、外から示されていくものではなく、彼の心の中で、器はすでに完成されています。その上で、陶器師は、器を作り始め、そして、完成したとき、陶器師は自分が作り上げたその器の中にいるのです。神の中にあったものが、その器の中に出てきたのです。

2018年5月17日木曜日

神前有能[第22日]地が天をつかさどる

ウォッチマン・ニー
神前有能
第3部、神がたまわる力

第22日
地が天をつかさどる

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイ18:18)

『まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。』この節の特徴とは何でしょう?ここで奇妙な点は、地上での行動が、天で行われる行動に先んじていることです。天で先につなぐのではなく、地上で先につなぎます。天ではじめに解かれるのではなく、地上で先に解くとあります。地がそれをつないだから、天もまた、つなぎます。地が解いたので、天もまた、それを解きます。天の行動は、地での行動によって、支配されています。神と相反するものはすべて、つながれる必要があり、神と一致するものはすべて、解かれる必要があります。それが何であろうと、つながれるにせよ、解かれるにせよ、そのつなぎ、また、解くという行動は、地上で始まります。地上での行動が、天での行動よりも先に行われますが、それは、地が天を支配しているからです。

2018年5月16日水曜日

【Daily Open Windows】5月16日

5月16日

このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。(コロサイ2:19)

信者とは何でしょう?神の目から見た信者とは、その中にキリストが埋め込まれた者をさし、神がそこに見るキリストの姿は限定されたものではありません。神はいつも、キリストを絶対的な見方で見ており、私たちの人生の始まりにキリストが埋め込まれたときも、神は、ばらばらに分けて埋め込むようなことはしませんでした。神の思いとは、すなわち、終わりが始まりとつながれていること、また、キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるべきであるということでした。改心は、それ自体が終着点ではないと言う理由はここにあります。それは、神の最終的な目的地点に向かう第一歩に過ぎません。ここから、神の目から見た信者の性質が分かります。すなわち、それはキリストにあるということです。人は、自分で、その性質を持つことはできません。教会においてある来訪者カードも、その性質を作り上げることはできません。相手が男でも女でも、何かの決断をするように、また、キリスト教の教理の中のある教えを心の中に受け入れるように促すことによって、人をキリスト者に変えることはできないのであり、それは、たとえ、その教えが、主イエス様の人格や働きに照らして、完璧に真実であっても同じことです。