2017年12月15日金曜日

聖書からの約束: 信頼

聖書からの約束:
信頼 Trust

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。 ■ 詩篇46:1-2

まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。 ■ 詩篇84:11-12

主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 ■ 詩篇37:3-5

2017年12月14日木曜日

【Daily Open Windows】12月14日

12月14日

愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ4:15)

この世界にあるものは、新しくなり、形を変えていくかもしれませんが、神の目的はいつも同じです。神が見せるまぼろしは、これまでとは違う新しい面から映されることはあっても、それは、神がはじめから、示してきたものです。私たちは、新しいものに合わせていけばよいのでしょうか?『古くなったもの』を、ただ捨て去ってもいいのでしょうか?過去にあったことが、正しかったか、間違っていたのかと、問いかけることなしに、私たちは、『前に進み』、そして、『成長』し、『到達』することができるでしょうか?神が見せるまぼろしが人を祈るものへと変えます。これは、聖書に出てくる人たちのことを思い返せば、あまりに明白なことです。彼らを、取るに足りない些細なことがらから、引き離したものはまぼろしでした。祈りを、生活の中に欠かすことができないものに押し上げ、本当の苦しみの中で祈るものとなるためには、神のまぼろしが必要です。聖書の預言者たちの祈りには、限界が設けられ、全てが許されていたわけではありません!それでも、とてつもなく大きな問題が、何度となく引き起こされました。私たちが神に見るまぼろしの姿ではなく、私たちの中に示される神のまぼろしが、いつも躍動し、ものごとの価値を定めるのです。

2017年12月13日水曜日

『日々の歌』電子書籍

『日々の歌』の歌詞集の電子書籍(epub)ファイルです。
電子書籍を読むアプリはいろいろありますが、Androidでは、Lithiumが動作が軽く、操作も分かり易くてお勧めです。

2017年12月12日火曜日

【Daily Open Windows】12月12日

12月12日

この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのです。(エペソ2:21)

ここにあるのは、引き離すことも、打ち壊すこともできないひとつの塊として、互いと結び合わされている仲間たち、いのちの群れであり、そして、そこには、心の奥深く働いている神の愛を見出すことができます。『彼らも一つであるために』とありますが、御子を通して種(たね)へと送られた、すべてを与える神の愛によって、ひとつになっているのです。そう、この神の愛という問題は、この世の中のあらゆることがらに及ぶものであり、なぜか、今のこの時代に、この愛について語るとき、私たちの心には、これほど強い情熱があふれてきます。このことを考えると、悲しく、つらいことですが、この地上で、自分をキリスト者と呼ぶ者たちのあまりに多くが、自分のことばかりを気にかけ、自分の権利にこだわり、嫉妬深く、人を妬み、お互いから離れています。そして、このような人々を、天的な者として、地上に住まわせることは、神の願いと相反しています。神の思いとは、キリストという種を地上に増やしてゆくことであり、この種とは、すべてを与える愛がかたちを取ったもの、新しく生み出すことを知っている愛、いつもすべてを与え続ける愛です。これこそ、主が求めているものです。それは、心の奥深いところで働く十字架の現われであり、私たちは、これより、他のものは、何ひとつ欲しくないのではないでしょうか?

2017年12月10日日曜日

【Daily Open Windows】12月10日

12月10日

もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみのです。(第1コリント12:26)

しかし、これはこの地上のことではありません。私がこれから、どれだけ多くの苦しみを受けても、この世での生活の上のことであれば、あなたはそのことに気づきもせず、影響を受けることもないかもしれません。しかし、愛するみなさん、その中の一人が霊的に苦しむとき、その御体(みからだ)全体が同じ苦しみを受ける、そのような世界もあるのです。ここから分かるのは、この御体とは天的なものであること、各部分の間のつながりは自然のものではなく、霊的であること、そして、すべてを結び合わせる御霊の力が、自然の見識の及ばないところで働いているということです。・・・

聖書からの約束: 成功

聖書からの約束:
成功 Success

正しい者の家には多くの富がある。悪者の収穫は煩いをもたらす。 ■ 箴言15:6

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。 ■ 箴言22:4

あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。 ■ 申命30:9

主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 ■ イザヤ30:23

2017年12月8日金曜日

【Daily Open Windows】12月8日

12月8日

神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。(ヘブル8:13)

このヘブル人への手紙は、神がその御子、イエス・キリストを、この世界に送った時に行った革命、または、再構築について語っています。それは、この世の全てを包み込む、宗教的な革命です。この革命は、ユダヤ教には拒絶され、また、キリスト教徒の世界からも、使徒の時代から、ほとんど完全に、見過ごされ、また、見失われていました。現代、広く受け入れられているキリスト教の制度自体、もし、この手紙の意味が、御霊の力における天からの啓示と受け取られていたら、存在しえなかったものです。すなわち、もし、この手紙の意味が、使徒パウロが『ナザレのイエス』とは誰かを知るようになったときのように、御霊の力によって、心の中に入ってきて、啓示という働きを行っていたら、キリスト的ユダヤ教、あるいは、ユダヤ的キリスト教(今のキリスト教世界は大いにこのようなものとなっていますが)などあり得ないはずです。パウロ自身の場合がそうだったのです。ヘブル人への手紙とは、ローマ人とガラテヤ人への手紙の中で繰り広げられた闘いの別の側面に過ぎません。