2019年5月18日土曜日

主の計画

主の計画
2019年5月19日、富山よろこびの集い

箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

聖書を読むと、神に仕えたいという願いをもって、生活のすべてを投げ出してまで、自分で考えた道筋に沿って行動しながら、主によって行く手をさえぎられた人たちの例が多く描かれています。

今の世界に生きている私たちもまた、ものごとが計画したとおりに進まず、挫折を味わうことは少なくありません。

人生の新しい機会を模索して、周到な準備をし、一歩を踏み出しながら、その足を取られて、希望を失った経験を、多くの人が持っているのではないでしょうか。

2019年5月14日火曜日

【神の約束】霊において成長する(ためにあなたにできること)

霊において成長する(ためにあなたにできること)

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。 [第二ペテロ3章18節]

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。 [第一ペテロ2章2-3節]

あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。 [第二テモテ2章15節]

これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。 [第一テモテ4章15節]

2019年5月13日月曜日

【Daily Open Windows】5月13日

5月13日

あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。(マタイ23:9)

おそらく、終わりが来たとき、あなたと私だけでなく、世界中にいる主の民が、他の何よりも理解しなければならないことのひとつは、私たちがどれだけ天的であるかという現実です。全てのことが試されることになりますが、それは主の名のもとに、世界の始まりをつかさどり、終わりを支配する法によって行われます。始まりには、彼らは天的な人たちであり、すべてのものが天におられるキリストにあって、彼らのために備えられていて、天にいるキリストから与えられていました。彼らにとって、全ての支配、指示、備えは、天でそうであったように、主から来たものであり、また、主の中にあったのです。主は何度でも戻ってこられ、ものごとをその始まりによってさばかれ、そして、最後には、そのさばきは非常に厳格に適用されることになります。私たちが見るのは、ものごとの表面的な形式であり、それは、この世的で、人の手で作られ、人によって構成されている形式で、霊的なものの模倣、あるいは、描写に過ぎず、その土台からして崩れ、揺れ動いています。私たちが働きを行っているこの世の組織は、全て砕け散ってゆきます。あらゆる国で、この世の枠組みは、すべて引き裂かれることになります。そこに残されるのは民だけとなり、おそらく、彼らは、散り散りになります。そこで、試されるのは、キリストから来るものが、そこにどれだけあるのかということです。もし、秩序、教会、制度、また、会合や大会といった、民がキリスト者の生活を支える手段とみなす多くのものに頼ってきたのなら、それらが失われ、崩れ去ったとき、そこでこの問いが投げかけられます。すなわち、ここにはどれだけのキリストがいるのですか?キリストの計り、天的なキリストの計りはどれだけありますか?

2019年5月12日日曜日

【神の約束】神をよろこばせる(ためにあなたにできること)

神をよろこばせる(ためにあなたにできること)

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。 [イザヤ43章7、21節]

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。 [ヨハネ4章23-24節]

ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。 [第二歴代誌5章13-14節]

2019年5月11日土曜日

【Daily Open Windows】5月11日

5月11日

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイ11:29)

キリスト者に与えられた大きな課題はキリストを学ぶことです。これは、ただ学習する課目ということではありません。お尋ねしたいのですが、あなたの人生でもっとも大きな願いは何ですか?私の願いと同じでしょうか!私の心の中の何よりも大きな願い――長く生きるほど強くなっていく願い――とは、主イエス様を理解することです。主のことで、理解できていないことが、私にはまだ、たくさんあります。私はいつでも、主のことになるとたくさんの問題と直面していますし、それは、知的な問題などではなく、霊的なものであり、心の問題です。なぜ、主イエス様はあのことを言われ、また、あのことを実行されたのだろう?なぜ、主は、このようなことを私にするのだろう?主は、いつも、私にとってあまりに深遠な方でり、私は、主を理解したいと願っています。主イエス様を理解することは、人生でもっとも大切です。そう、私たちがここにいるのは、主が私たちを、ご自身のより良い理解へと導くことができるようにです。主がかけるみ言葉は、新しく作られるものではありません――よく知られた古い聖書のことばです。おそらく、私たちは、自分がヨハネの福音書をよく知っているつもりでいます。確かに、あなたはそうかもしれませんが、私は違います。この福音書には、私が知っているよりも、ずっと深い真実と価値が含まれていることを、私は読むたびに発見しています。・・・

2019年5月10日金曜日

【神の約束】時間を有効に使う(ためにあなたにできること)

時間を有効に使う(ためにあなたにできること)

それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 [詩篇90篇12節]

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。 [使徒1章7節]

働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。 [伝道者3章9-14節]

命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいが多いからだ。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。 [伝道者8章5-7節]

2019年5月9日木曜日

【Daily Open Windows】5月9日

5月9日

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4:12)

この手紙の中心を通って流れる神の思いとはただ、霊的な完全さです。そして、あらゆる宗教が――キリスト教でさえ――魂と霊、感性と霊性を、明確に区別せずに混同しており、(かつては、キリスト・ユダヤ教がそうなり、また、今の組織化されたキリスト教がそうなっているように)、ユダヤ教と同じ運命へと突き進んでいます。私たちがキリスト教を建て上げるために、人の魂という資源だけを用いて、『すべてのものは神から来ている』こと――すなわち、すべては先ず、主から来なければならず、そして、そのとき、人間に初めて触れるところは霊であって、この霊が、新しくされて(作り直されて)、その後はずっと、神からくる全てのものの器と乗り物となること――を認めようとしないなら、私たちの組織がどれほど巨大なものになろうと、大きく『揺り動か』されたときは、必ず崩れ去っていくことになります。現在のキリスト教の大部分は、たくさんのユダヤ教的な特徴を内在させながら作り上げられています。その特徴とは、外的な秩序、様式、式服、肩書き、建物、そして、真実を学ぶ上にも厳格に設けられた境界のことです。天的な観点からみると、このすべてはあまりに意味がなく、子供の遊びのようなものですが、当の子供たちはそれを大真面目に捉えているのです。