2017年3月27日月曜日

ジョン・ウェスレーの祈り、『Plea for Forgiveness』

ジョン・ウェスレーの祈り

すべてをおゆるし下さい、ああ、主よ、
なすべきことをなさなかった罪、なすべからざることをなした罪、 

若き日の罪、分別ざかりの罪、
魂の罪、肉体の罪、
ひそかな罪、公然たる罪、 

無知ゆえの罪、思いがけない罪、
故意に犯した罪、出しゃばりの罪、 

自分を喜ばせるために犯した罪、他人を喜ばせるために犯した罪、 
私たちが知り、また覚えている罪、忘れた罪、また、
他人の目から隠そうと試みた罪、他人を躓かせた罪、 

ああ、すべてを、主よ、 
私たちの罪のゆえに死に、いまも神の右に坐して執り成して下さっている、
イエス・キリストの御名のゆえに、お許しください。


John Wesley's 'Plea for Forgiveness'
 

Forgive them all, O Lord: 
Our sins of omission and our sins of commission; 
The sins of our youth and the sins of our riper years; 
The sins of our souls and the sins of our bodies; 
Our secret and our more open sins; 
Our sins of ignorance and surprise, 
And our more deliberate and presumptuous sins; 
The sins we have done to please ourselves and the sins we have done to please others; 
The sins we have known and remember, and the sins we have forgotten; 
The sins we have striven to hide from others and the sins by which we have made others offend; 
Forgive them O Lord, 
Forgive them all for his sake, Who died for our sins and rose for our justification and now stands at thy right hand to make intercession for us, Jesus Christ our Lord.


ある掲示板で見た、『ジョン・ウェスレーの祈り』を転載します。トロントにもウェスレーの名がついた教会があり何度か行ったことがあります。この祈りは心に刺さりました。私が犯したたくさんの罪、今も犯している罪を許してください・・・・と、この祈りを読みながら祈りました。

2017年3月23日木曜日

聖書からの約束:ねたみ

聖書からの約束:
ねたみ Envy


あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。 ■ 申命5:21

ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。 ■ ヤコブ3:16

それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。 ■ ヤコブ4:5

互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。 ■ ガラ5:26

悪者はおのれの心の欲望を誇り、貪欲な者は、主をのろい、また、侮る。 ■ 詩篇10:3

暴虐の者をうらやむな。そのすべての道を選ぶな。 ■ 箴言3:31

穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。 ■ 箴言14:30

憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。 ■ 箴言27:4

だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。 ■ 1コリ10:24

主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。 ■ 詩篇37:7

私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。 ■ 伝道者4:4

悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。 ■ 箴言24:1

しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。 ■ ヤコブ3:14

あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。 ■ 箴言23:17-18

それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。」 ■ ルカ12:22-23

2017年3月20日月曜日

神前有能[第6日]『だから、こう祈りなさい』(2)

ウォッチマン・ニー 
神前有能
第1部、だから、こう祈りなさい。

第6日
『だから、こう祈りなさい』(2) 

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』マタイ6:33

『だから、こう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。』マタイ6.9~13 

いわゆる、『主の祈り』の初めの部分には、神に向けられた三つの心からの願いが含まれています。

一番はじめの願いはこれです、『御名があがめられますように。』神の今の願いは、御名が褒め称えられるよう、私たちが祈ることです。御使いたちの間では高く褒め称えられている主の御名を、人はみだりに唱えています。人が御名をむなしく口にするときも、主は天から怒りの雷を落とすことはしません。代わりに、そこにおられないかのようにご自身を隠されます。主は、御名がむなしく使われたという理由で、人に苦しみを与えたことはありません。しかし、主は子供たちにこう祈らせます、『御名があがめられますように。』私たちが神を愛し、神を知っていれば、その御名が褒めたたえられることを願うでしょう。主の御名が、むなしく唱えられるのを聞けば、心を痛めるはずです。私たちの願いは強まってゆき、次第に熱心に祈るようになります、『御名があがめられますように。』それは、誰もがその名をあがめ、主の御名をみだりに唱える者がいなくなる日まで続きます。

2017年3月13日月曜日

T・A-S『わたしたちが一つであるように・・・』第01回会合

T・オースティン・スパークス 
わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』 
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964 

会合1 - の道は、私たちの道と異なる 
Meeting 1 - God's Ways Are Different From Our Ways 

1回会合
1964130日午後)

始めに妻が今、言ったことを繰り返さずにいられません。あなた方とまた、ここで会えたのはなんという喜びでしょう!過去2回の訪問で共に過ごしたすばらしい時間は、楽しかった思い出として、今も心に残っています。敬愛する皆さま、私たちをまた、これほど暖かく迎えてくださったことに、感謝したいと思います。マニラはいつも暖かく私たちを迎えてくれます。そして、どうしても言いたいのですが、たった二日前、冷たい雨の降るロンドンを発って飛行機に乗ったとき、私たちは真冬用の衣類を身に着けていました。マニラに着いた時、あらゆる意味で、とても温かい歓迎を受けました。昨日、空港で飛行機から窓の外を見て、幸せそうな顔の一団を見つけ、幸せな声を聴き、幸せな手を握りしめた時に受けた歓迎の方が、この土地の熱気より、ずっと暖かなものです。この暖かい歓迎を本当にどれだけ感謝しているか、理解してもらうためには、私たちと同じ経験するしかないでしょう。これが私からあなたたちに言いたい第一のことです。私たちがここを離れるとき、あなたたちが少しも冷たくなっていないと言いのですが。 

2017年3月11日土曜日

神前有能[第15日]三度、祈りなさい

ウォッチマン・ニー
神前有能
2部、あなたが祈るとき 

15 
三度、祈りなさい 

いつでも祈るべきであり、失望してはならない。(ルカ18:1 

イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。(マタイ26:44 

このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。(第2コリント12:8 

祈りのことで、知っておくべき奥義がひとつあります。主に向かって三度、祈ることです。『三度』とは言っても、三回に限定されるわけではなく、もっと多くてもよいのです。主イエス様がゲッセマネの園で神に三度、願ったところで、祈りが聞かれ、そこで止めました。パウロも三度祈り、神のことばを与えられたところでやめました。ですから、祈るものは皆、三度という原理を心にとめるべきです。ここでいう『三度』とは、一回目、二回目、そして、三回目の祈りをしたところで、やめなければいけないという意味ではありません。休むことなく祈り続け、神に聞かれるまで、辞めてはいけないということです。

この三回という原理には大きな意味があります。この原理は、個人的な祈りの中に限って、気を付けるべきものではなく、祈り会の中でも心に留めておく必要があります。祈り会で捧げる私たちの祈りが、教会の務めを果たし、何であれ神が望むことを成し遂げることを望むなら、この大切な原理をよく覚えておくべきです。

2017年3月10日金曜日

The King Who Pleased the Lord.


The King Who Pleased the Lord.
April 22nd, 2015, Urawa Home Meeting
Gotthold Beck

主の御心にかなったダビデ王
2015年4月22日、浦和家庭集会
ゴットホルド・ベック

2 Samuel
12:13 At this point, David told Nathan, “I have sinned against the Lord.” Nathan responded to David, “There’s one other thing: the Lord has forgiven your sin. You won’t die.
12:14 Nevertheless, because you have despised the Lord’s enemies with utter contempt, the son born to you will most certainly die.”
12:15 Then Nathan went home. After this, the Lord afflicted the child that Uriah’s wife had born to David, and the child became very ill.
12:16 David begged God on behalf of the youngster. He fasted, went inside, and spent the night lying on the ground.
12:17 His closest advisors at the palace got up, remained with him, and tried to help him get up from the ground, but he would not do so. He also wouldn’t eat with them.
12:18 A week later, the child died, and David’s staff was afraid to tell him that the child had died. They were telling themselves, “Look, when the child was still alive, we talked to him but he wouldn’t listen to what we said. Now what kind of trouble will he bring on himself if we tell him that the child has died?”
12:19 But as David observed his staff whispering together, he perceived that the child had died, so he asked his staff, “Is the child dead?” They replied, “He has died.”
12:20 At this, David got up from the ground, washed, anointed himself, changed his clothes, and went into the Lord’s tent to worship. Then he went back to his palace where, at his request, they served him food and he ate.
[International Standard Version]

Today, I would like to discuss with you briefly, the king called David. The Bible tells us that David was a man who pleased the Lord. Furthermore, he was called the true worshipper. This man named David, did not care about himself at all; he was pleased to have the Lord at the center of his life. He maintained this attitude.

2017年3月5日日曜日

神前有能[第11日]信じて祈りなさい

ウォッチマン・ニー
神前有能
第2部、あなたが祈るとき。

第11日
信じて祈りなさい


凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし。(マルコ11:24大正改訳)
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコ11:24新改訳)


新しい信者の祈りの生活は、おもに良心と信仰に結びついています。祈りとは深遠なものですが、新しい信者にとっては、祈りはまだ、人間の良心と信仰の問題でしかありません。彼らの良心が、神の前に背くところのないものであれば、信仰は容易く強められます。そしてもし、彼らの信仰が十分強ければ、その祈りも、容易く答えられるでしょう。従って、彼らには信仰を持つことが必要です。

信仰とは何でしょう?それは、祈りの中で、疑いをはさまないことです。私たちの祈りをとどめるのは神です。神に祈ることを許してくださるのは神です。私たちが祈れば、神は答えるしかないのです。主は言われます、『たたきなさい。そうすれば開かれます。』叩いても、主が拒むことなどあるでしょうか?主は言われます、『捜しなさい。そうすれば見つかります。』捜しても、見つからないことなど、あるでしょうか?主は言われます、『求めなさい。そうすれば与えられます。』求めても与えられないことなど、決してありません。神とは誰だと、私たちは思っているのでしょう?神の約束は、どこまでも誠実で、信頼できるものであることを知るべきです。

私たちはすでに数年間にわたって主を信じてきたかもしれませんが、信じることがとても難しかった時が、誰にもあったのではないでしょうか。これは、信仰が神の知識に基づいているからです。神に関する知識の深さは、私たちの信仰の深さを測るものさしです。信仰を強めるためには、神をよりよく知る必要があります。救いは、知ることから来ます。こうして、救われ、神を知ったからには、信じるのは容易なことです。求めれば、神は答えてくれます。信仰に満ちた者となるために、初めから学び直しましょう。感覚や思考に頼って生きてはいけません。信仰によって生きることを学んでください。神を信じることを学ぶにつれ、祈りが答えられていることを見出すでしょう。