改宗したばかりの人は、すぐにはじめの熱意を失って、メリハリのない宗教的な日常生活に落ち着くことになるという考えが、キリスト教界の一部では信じられていますが、私たちも同じ考えを受け入れなければならないのでしょうか?私は、聖徒たちの幸福をいつも心で願っているつもりですが、キリスト者たちの中に、『世間並みの信者』という称号を受け入れて満足している人がいることには、心を痛めています。
何が起こっているのでしょうか?よろこびに満ちた回心をした人が、そのときの経験に夢中になって、主だけを見つめることをしなくなっているのではないでしょうか?
心のすべてを神に向けることによってのみ、霊的な熱意を永久に保つことができるのは、神だけが、いつまでも新しさを提供できるからです。神にあっては、全ての瞬間は新しく、古くなるものは何もありません。宗教的なことがらは、ときに私たちを飽き飽きさせ、祈りでさえ、人を疲れさせることはあっても、神は、そのようなことはありません。
兄弟姉妹の皆さん、初めに経験した甘い香りを保つためには、神ご自身だけに心を捧げていなければなりません!新しい改宗者には、縮こまるのではなく成長したいのであれば、夜も昼も三位一体の神との交わりの中に生きなければならないことを伝えましょう!
主よ、私は今朝、あなたと対話することで、これから始まる一日の活動が、決まりきった生活の繰り返しにならないように祈ります。あなたの絶え間ない臨在の光の中に生きることで、霊的な熱意を経験できるように祈ります。
『トウザーの朝ごとの祈り』
Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer
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