2021年8月4日水曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】8月3日

正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。(詩篇32:11)

私は、福音主義教会に、救いとは、あたりを照らす電球でも、地獄を避けるための保険証書でもなく、神とその心への入り口であることに気づくようにと祈っています。

カルト集団は、この小さな宗教ゲームが大好きです。彼らは、保険契約を結ぶようなやり方で安心を提供しようとします。残念ながら、彼らが提供するものは、聖書が与えるものより、はるかに劣っています。

私が心配するのは、世の福音教会も、危険なほど、このような態度に近づいてしまっていることです。どういうわけか、人が改心する理由も、この水準まで堕落してしまったのです。人が何から救われたのかということでも、神に感謝すべきではありますが、むしろ、何へと救われたのかということが大切なのです。

最近、提示されてきた天国とは、ほとんどの人たちが行きたいと願う天国です。そこは何でも欲しものが手に入る場所、ロフト付きの家、二台の車、噴水とプール、家の前の広い道がそろっている場所です。

この天国は、私には全く魅力的には思えません。ノリッジのジュリアンはその著書、『神の愛の啓示』の中で、天国が天国になるのは、三位一体が終わりのないよろこびで、心を満たしてくれるからだと言っています。ここに、私たちが頭と心で理解しなければならないことがあります。イエス・キリストは、三位一体のゆたかで、完全な現れであるということです。

私の労苦と試練がすべて終わり
あの美しい岸辺に安らかに立つとき、
すばらしい主のそばにいるということが
長い年月を通して私の栄光となる
チャールズ・H・ガブリエル(1856~1932)

愛する神よ、あなたの天国は、祝福されたあなたの住まいです。地上のものを天国に置こうとする私を許してください。あなたの臨在が絶えず現れるあの場所を渇望する者へと、私を変えてください。このことをイエス様の御名によって祈ります。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer

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