神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 (第二コリント5:1)
多くの人たちが、天国に行くことについて話していますが、世の宗教が与える希望は、実にはかないものです。
死という出来事の向こうに、祝福された状態を求めることができるという希望は、神の優しさ、そして、イエス・キリストが私たちのために十字架でなされた購いの御業の中にしかあり得ません。
真のキリスト者であれば、完全な愛だけが望みうる幸せな未来の姿を、心静かに待ち望むことができます。愛はその対象に対して、できる限り豊かな楽しみを、できる限り与えることだけを望みますから、キリストが私たちのために準備している未来よりも、もっと幸せな未来を想像することなど、私たちの力ではできないことです。
神に可能なことは何かなど、誰に言えるでしょうか?
愛する主よ、あなたの完全な愛の対象ではあっても、あなたが与えたいと願っておられる恵みのごく一部分しか、私たちは知らないと言っても過言ではありません。父よ、あなたの揺るぎなく、あふれるばかりの愛に感謝します。
『トウザーの朝ごとの祈り』
Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer
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