2021年10月6日水曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】10月6日:宗教の失敗

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。(第二テモテ3:5)

宗教の中では、また、宗教によっては、罪人の必要を十分に満たすことはできないという事実を直視しようとしない人たちが、何百万人といます。

宗教家たちは、驚くほどたくさんのことを、あなたにしたいと望んでいます。幼児洗礼から始まり、あなたが百八歳まで生きた時には、最後の儀式まで取り仕切るのです――そのあいだ、ずっと、あなたを操り、あなたの心を傷つけ、そして、甘い言葉であなたの魂を解きほぐそうとします。それが全て終わった後も、あなたは、結局、もとのあなたのままです。あなたは、飾り付けられ、魂を解きほぐされた罪人――肉を食べなかった罪人とか、魚を食べた罪人――に過ぎないのです。

宗教がやりたい限りのことを行った後でも、あなたは罪人のままであり、教会に行った罪人か、教会に行かなかった罪人の違いしかありません。宗教は、私たちをなにかの役職につけ、教育し、訓練し、そして、指導することはできます。しかし、それが全て終わっても、私たちの存在の内側で、何かがこう叫んでいます、『私の心の中には、永遠があるはずなのに、それを満たすものを何も見つけられなかった!』

主イエス・キリストだけが、私たちの魂の中の尽きない渇望を満たすのに十分なお方です。

主よ、私の永遠の運命と何の関係もない『宗教的な伝統』に加わることより、あなたとのつながりを深めることのほうがずっと大切です。主イエス様を愛しています。

『トウザーの朝ごとの祈り』
Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer

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