2021年7月13日火曜日

【トウザーの朝ごとの祈り】7月13日―つり合いが取れていない

7月13日―つり合いが取れていない

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。(ヨハネ8:31)

この時代の福音キリスト教会では、ほとんどの人がキリスト者の生涯について偏った見方をしていることを認めなければなりません――はじめに信仰を持つと言う行為に、全てかかっているかのように考えられています。すなわち、ある時点で、キリストを信じるという決断をすると、その後は全てが、『勝手に』に進んでいくというのです。

これは、私たちが福音を伝える中で、聖書の言葉を重んじてこなかったことに起因しています。

私たちは、人に回心してもらうことに熱心なあまり、ただ一度切りの信じるという行為によって、全ての責任を果たせるという考え方を、信者たちが取り込むことを認めてしまいます。これは、あやふやなかたちで、恵みに感謝し、神をほめ讃えてはいますが、その一方で、実際には、キリストを、真理の聖書のどこにも書かれていない、ねじ曲がった無益な教えの創始者にしてしまいます。

新約聖書の説明では、信仰とは、ひとりひとりの信者にとって、始まりであって、終わりではありません。信じることは、一度だけで終わる行為ではなく、単なる行為以上のものでした。信仰とは心と精神の持ち方のことであり、それが、信者たちに、自分の十字架を背負って、小羊が行くところ、どこへでもついて行くように後押しし、力を添えてきたのです!

主よ、キリスト者の一生は、生涯に渡る成熟の道です。そこには、悪い日があれば、良い日もあります!あなたとともに歩む信仰の道で、先に進み続けられるように助けてください。

Mornings with Tozer --- Daily Devotional Readings
A. W. Tozer

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