私は心の中でうんざりしています。自分自身のこと、友人たちのこと、また、今日の聖書者たちのことで嫌気が差しているのです。あまりに、自分を中心としたものになっていながら、私たちは、神を讃えることを声高に語り、自慢げに、『これこそ神の栄光だ』などと言っています。
これはとても簡単です。誰かに邪魔立てされると、すぐに警戒心を抱いてしまうのは、自分を中心にしていて、独りよがりだからです。全て、敵と呼ばれるものに対して、即座に自分を守ろうとします。誰か、あなたに対立する人がいると、そのことがすぐに現れます。
キリストは違いました。主はご自身を捧げ、ご自身を注ぎだして、自分を中心に考えることがありませんでした。主は、ご自身が嘲りを受けても、敵を嘲ることをしませんでした。
独りよがりで自分を中心とするキリスト者の心は、決して温まることがありません。自分を守っているキリスト者は、神との深い交わりやつながりを経験することのない人たちです。
キリストは私たちを愛しており、私たちの羊飼いです。主は、天から私たちを弁護し、私たちのために口を利いてくださる方です。私たちは主の兄弟であり、主は私たちの神です。しかし、地上を歩くあいだに聖徒たちに起こる交わりと優美さの変化は、単なる能力的な変化ではありません。
天の祝福の恵みのそよ風、
あなたの愛の中から私たちに吹き付ける。
あなたの御霊の存在を感じさせてください、
ああ、み言葉で私たちを生き返らせてください!
ダニエル・ホィットル(1840~1901)
私の心には、ああ、神よ、高みからの一吹きが必要です。あなたとの甘美な交わりへと入るために、私の中で変わらなければならないところがあれば、すべて変えてください。イエス様のお名前でこの祈りを捧げます。アーメン。
My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer
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