2021年6月29日火曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月29日

しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。このわたしは荒野で、かわいた地で、あなたを知っていた。【ホセア13:4~5】

神の近くにいたいという願いは、事実、神のようでありたいという願いです。神と同じようになって、完全な交わりができるように――そうして、心と神が、神聖な交わりの中でひとつになれるようにという、贖い出された心の願望なのです。

人が神と似ているところがあるからこそ、神と子どもたちの交わりが、互いを結びつけ、うまくゆくのであり、生まれ変わった子どもたちの中で、もっとも貧しく弱いものであっても同じです。しかし、全く似ていない部分もあり、その違いのゆえに、あるべき交わりが持てないのです。

いつも、求め、願い、祈り、歌っているような、完璧な神の臨在の感覚を持つことは、私たちにはできません。神がどのようなお方なのかを知って、自分が神に似ているかを推し量ることは、どうすればできるでしょうか?

答えは簡単です。神はキリストのようであり、それは、キリストが神であるからです。キリストとは、人類に現れた神の姿です。キリストに焦点を当てなければなりません。私たちの主イエス様を見れば、神がどのようなお方であるかが分かり、そうして、神の切れ目なく続く臨在を経験するためには、私たちは、どのような者であらねばならないかを知るのです。

私にはいつも、心を奪う優しいささやきが聞こえます、
試練や重荷が大きすぎると感じるとき。
優しく鳴り響く、甘い夕べの鐘の音のように、
その声は、私の霊に語ります、『ただ、待て』と。
A. B.シンプソン(1843~1919)

ああ、主なる神よ、いつも私のそばにいてくださる方、あなたのご臨在が私の避けどころであることに感謝します。状況がどれほど悲惨なものに見えようとも、私はあなたのご臨在に憩うことができます。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer

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