2021年6月17日木曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月17日

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。【コロサイ2:13~14】

放蕩息子は、あまりに辛い日々を経験した後で、ついに自分を取り戻しました。それは、苦しくても、価値のある旅です。我に返ったとき、自分が何をしなければならないか、彼にはすぐに分かりました。

あまりに多くの人が、自分が何をすべきかを知らないために、遠い国をさまよい、父親から遠く離れています。自分が置かれている状況にいら立っているのかもしれません。何をしたらいいのか、探し求めているのかもしれません。我に返って、自分の現実の姿を知るまで、何をすべきか、知ることはできません。

放蕩息子は、自分がどこにいるの、どこから来たのかを自覚して初めて、これからどこに行くべきなのか、気づいたのです。彼が家に帰ったとき、父親が出迎えて言いました、『この息子は、死んでいたのが生き返ったのだ。』

神の恵みは、誰にも注がれており、それは、誰にとっても十分な恵みです。あなたが神に歯向かうなら、神の恵みは存在しないのと同じであり、キリストも死んでいなかったということになります。神に従って、家に帰れば、圧倒的で、理解も及ばないほど大きな高潔さと優しさ、そして、果てしなく広がる神の性質が、あなたのそばにあるのです。

私は、神から遠く離れてさまよっていた。
今、私は家に帰ってゆく。
罪の道を、私はあまりに長く踏み続けてきた。
主よ、私は家に帰ります。
ウィリアム・J・カークパトリック(1838~1921)

ああ、神、天なる父よ、『家』とはすばらしいことばです。あなたが、両腕を広けて私を迎えてくれた事実は、とても理解しきれないものです。ああ、しかし、家に迎え入れてくれることは、本当にすばらしいことです!主を讃えます。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer

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