2021年6月27日日曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】 6月27日

主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を助け出してください。私に耳を傾け、早く私を救い出してください。私の力の岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。【詩篇31:1~2】

ほとんどのキリスト者は、神学的なキリスト者です。彼らは、自分が救われていることを知っています。誰かがどこかで、彼らに教会名の入った新約聖書を手渡したのですが、神学を正しく理解させるためにそうするのは、悪いことではありません。問題は、彼らが神の存在を感じることなしに、幸せになろうと試みていることです。神の近くにいたい、神が自分の近くにいて欲しいというこの切実な願いは、神の民ならば誰でももっているものです。祈り、歌、賛美の中にも表れています。

そんなのは、私の頭の中に渦巻いている考えに過ぎないと思うなら、次の祈り会へ行って、兄弟たちといっしょにひざまずき、彼らの祈りを聞いてみてください。誰もが同じような祈りをします。『ああ、主よ、来てください。ああ、主よ、近づいてください。ああ、主よ、ご自身を現してください。私の近くにいてください、主よ。』

それで足りなければ、こんな内容の歌を歌います、『全ての祝福の泉たる主よ、来てください』、とか、『私を引き寄せてください、祝福された主よ。』

神に近づきたい、そして、神に近くにいて欲しいというこのような願いは、生まれ変わったキリスト者なら、誰でももっているものです。そして、私たちは、神を、どこか遠くにいて、自分のいる場所に向かって来られるお方と考えています。神は、自分の内側にいるのです。

来てください、全ての祝福の泉であるお方、
あなたの恵みを歌うよう、私の心を整えてください。
哀れみの流れ、いつも絶えることなく、
高らかに賛美する歌を求める。
耳に心地よい十四行詩を教えてください、
天で燃える舌が歌っていたことばを。
山を讃えてください。私は見つめています、
あなたのあがないの愛の山を。
ロバート・ロビンソン(1735~1790)

永遠なる神よ、永遠の中に住まわれるお方、私に近づいて、私の今日の人生をあなたの臨在で祝福してください。この日の終わりまで、あなたを賛美して歌えるように、私の心を整えてください。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer

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