2021年6月4日金曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】6月4日

ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。【ローマ5:15】

ジョン・バニヤンは自叙伝を書き、その書を『罪人のかしらに恵みが満ちる』と名付けました。バニヤンは、この題が、まさしく自分の人生を現していると思っていました。彼は、神の恵みを受けるのに、自分ほどふさわしくない者はいないと信じていました。実際には、ふさわしい人などいなかったのです。しかし、彼は、自分の罪を深く思い、自分を救い出したのは神の満ちあふれる恵みに他ならないと感じていました。

私たちが、神が自分たちのようであると考えることは、大きな間違いです。人間は、ある日は優しく恵み深くても、次の日には、怒りと憤りに満たされることもあります。聖書に、神の『恵みはより満ちあふれる』とあるのは、神が与える何よりも恵みが多く満ちるという意味ではありません。恵みは、私たちの中に、他の何よりも多く満ちあふれているということです。どれだけの罪を犯していても、恵みはその人に降り注ぎます。

人は、自分を高く評価するほど、神の恵みに感謝しなくなるものです。バニヤンがそうしたように、完全に死の宣告を受けている者として自分を見始めると、神の恵みはよりすばらしいものになってゆきます。神の恵みと私の罪を較べてみれば、神の恵みが常に勝っています。

我がたましいよ、歌え、主のすばらしい愛を、
天の上の光り輝くみ座から、
私たちの競争をいつも見守ってくださるお方が、
今もなお、その恵みを人に及ぼしている。
作者不明

愛する天の父よ、バニヤンや使徒パウロのように、私は自分が罪人のかしらであると感じます。あなたの恵みはすばらしいもので、私のような罪人をも覆ってくれます。イエス様のみ名を讃えます。アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for every day
A.W. Tozer

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